グローバリズムの意味を、グローバリゼーションの張本人たち自身(世界人民を家畜としか思ってない国際巨大資本家とか)が正しく理解しておらず、彼らの詐欺行為ばかりが地球全土を股にかけてる、そんな混迷と悪意の今、ブラジルの一時代の一地域の一真実を確かに切り取ったこの労働者映画があらためて全世界で普遍的テキストとして視聴されることこそが、真のグローバリズムなのだと、私は声を大にして(まあ小声でもいいけど)言いたかったりする。 トロツキズムが世界史上で正しかったのかどうか、とかじゃなく。 あのビートルズ全盛期(マリは生まれてないけど)、ハリスンが Within You Without You で「すべての人々が分かち合える愛について、語り合った」「いつの日か すべての人々は一つだと気づいた時に……」と唄った提言詩をよくよく咀嚼消化したレノンによる、 All You Need Is Love (愛こそはすべて)が、世界31カ国を結んでの衛星同時中継番組〈アワ・ワールド〉で発表された1967年ってのは、今からすれば武力や経済的侵略や悪い洗脳とは全然違う知的善意によるグローバリゼーションの最初歩だったかもしれない。機械や伝達手段をあそこまで駆使した主は人間。家畜や奴隷としてじゃなく、心をもつ私たち人間こそが主役。だからこそ、つながる。主体的に。(見てきたみたく言う。まだ全然マリは生まれてなかったけど。) AIとか電子マネーとかバイエルとかソニーとかロックフェラーとか夢のないくだらない強制国際化に流されまくるのをふと止めて、すべての人がこの秀麗な最下層労働者映画にたった105分じっくりつきあう、それだけで世界は変わり始める。かもね。 とどのつまり、映画や音楽はそういうことのためにある。直接または間接的に、人類を幸福にするために。笑わせたりの直接さがたまたま低いものは「娯楽じゃない。まじめなもの」とされる。誠実。いいじゃん。 夫の出来心を大目にみるか赦さないかは、各自の自由。 美男美女はあまり出てこない。代わりに、スラッとした忠犬バレイアがジェニックだ。オスかメスか知らないけど美女と呼んでおこうね。最後の気力体力をふりしぼって飛び掛かっていって捕獲した鼠ちゃんを主人らに届けてから絶命する、というホットを期待しちゃったがそうならず、美女が眠るようにバレイアは。。。。