まりぃくりすてぃ

乾いた人生のまりぃくりすてぃのレビュー・感想・評価

乾いた人生(1963年製作の映画)
5.0
これが映画ッ!
最初の15秒でもう、揺るぎない傑作だとわかった。マリが認定する銀河系最高映画『悪魔のいけにえ』と、マリの敵(ブラックホールの住人たち)が絶賛してた『サタンタンゴ』を、足したような始まり方! 銀河女王+暗黒星、、ってことは、このまま行けば、客観的に宇宙最高作?!?!
の感じは、30秒経っても5分経っても変わらなかった。まばたきもしたくないぐらいに、モノクロの画力が全瞬間に漲ってて! 白色にも陰にも説得力がありつづける! 出演者たちの寡黙さにも!
20分後も1時間後も映画的に何も衰えず。飽きが来ず。(キャメラ振りがせわしなかった場面が二度ほどあったのと、水平線がほんのちょっと高いと時々感じさせた以外には、たぶんアラがなかった。)あの『ROMA』 から「あざとさ&独りよがり&ちんこ&退屈」をすべて取り払って最良要素だけをこっちに持ってきた、みたいな高テンションが、全編にわたってカンカンプルプル!
原作小説がきっと骨太なんだ。そして映画は映画の務め(映画だからこそできること)にきちんと徹してる。
干ばつの地をさすらい、やっとこさ住み処を得たかと思ったら奴隷的労働者生活に入り込んじゃった男とその妻子(と忠犬)の約2年間を動的に追った、犬映画。鼠。牛。馬。鳥。そしてもちろん人の映画。
夫「チッキショー。つらいぞ」
妻「あんた何やってんのよ。つらいのはあたしのほうよ。フカフカのベッドで寝るのが夢だったのに」
息子二人「ねえ」「お母さん、地獄って何?」
妻「うるさい!」
気が滅入る。滅入ったでしょ?


グローバリズムの意味を、グローバリゼーションの張本人たち自身(世界人民を家畜としか思ってない国際巨大資本家とか)が正しく理解しておらず、彼らの詐欺行為ばかりが地球全土を股にかけてる、そんな混迷と悪意の今、ブラジルの一時代の一地域の一真実を確かに切り取ったこの労働者映画があらためて全世界で普遍的テキストとして視聴されることこそが、真のグローバリズムなのだと、私は声を大にして(まあ小声でもいいけど)言いたかったりする。
トロツキズムが世界史上で正しかったのかどうか、とかじゃなく。
あのビートルズ全盛期(マリは生まれてないけど)、ハリスンが Within You Without You で「すべての人々が分かち合える愛について、語り合った」「いつの日か すべての人々は一つだと気づいた時に……」と唄った提言詩をよくよく咀嚼消化したレノンによる、 All You Need Is Love (愛こそはすべて)が、世界31カ国を結んでの衛星同時中継番組〈アワ・ワールド〉で発表された1967年ってのは、今からすれば武力や経済的侵略や悪い洗脳とは全然違う知的善意によるグローバリゼーションの最初歩だったかもしれない。機械や伝達手段をあそこまで駆使した主は人間。家畜や奴隷としてじゃなく、心をもつ私たち人間こそが主役。だからこそ、つながる。主体的に。(見てきたみたく言う。まだ全然マリは生まれてなかったけど。)
AIとか電子マネーとかバイエルとかソニーとかロックフェラーとか夢のないくだらない強制国際化に流されまくるのをふと止めて、すべての人がこの秀麗な最下層労働者映画にたった105分じっくりつきあう、それだけで世界は変わり始める。かもね。
とどのつまり、映画や音楽はそういうことのためにある。直接または間接的に、人類を幸福にするために。笑わせたりの直接さがたまたま低いものは「娯楽じゃない。まじめなもの」とされる。誠実。いいじゃん。
夫の出来心を大目にみるか赦さないかは、各自の自由。
美男美女はあまり出てこない。代わりに、スラッとした忠犬バレイアがジェニックだ。オスかメスか知らないけど美女と呼んでおこうね。最後の気力体力をふりしぼって飛び掛かっていって捕獲した鼠ちゃんを主人らに届けてから絶命する、というホットを期待しちゃったがそうならず、美女が眠るようにバレイアは。。。。

手をケガしてる盗賊の青年が美しかったな。

[アテネフランセ “ペレイラ回顧”。今後とも必見。カシャッサ酒かラム酒入りの砂糖たっぷりミルクたっぷり入りのコーヒーで温まってちょっとだけほろ酔いで観れば、105分間がさらに豊かになりそう。てか、マリはワインちょっと飲んでた。ちょ。]