小径

ほかげの小径のレビュー・感想・評価

ほかげ(2023年製作の映画)
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私の内なる暴力性に、一対の視線を。

とても見られるべき映画。

人間の潜在下に留められるべき混乱や矛盾が触発されて顕在してしまったような暴力性。
これらが誰しもに起こりうる普遍であることを示すことがこの作品の匿名性に繋がる気がする。内なる暴力性の示唆。

人の心が擦り切れて焼き尽くされた後に体を支配する何らかの総合的意志が見て取れた。損なわれたものの行く先、「市子」のテーマに通ずるものを感じた。

でも、そんな中で、そんな中だからこそ、傷を通じた絆から発せられるきらりと光るような純粋な繋がりを感じさせる尊い描写がとても印象的で、また得難いものだった。

程度を超えた下品さと尊さは不可侵である意味で同じ場所に存在する。
そんな言葉を思い出した。

理屈を凌駕して、ここで見たものを丸ごと受け入れるべきだと思わせるものがこの映画にあった。この映画で広がる状況は救いがないほど腐敗し、呪われている。抗えない運命に人々は続々と死にゆく。でも無力感を不思議と感じさせないのは、坊やの視線が観客としての私の目線と繋がるから。運命から目を逸らさず、惨劇を確かに見届け、憎む、坊やの一対の視線が希望になっている。この作品を見ること自体の意味を体現してるよう。物語の底のない無限の暗さの中で、小さくも、唯一確かな力をもった光をもたらす。重なる。私が然と見届けること自体が唯一の希望になる。


戦前、戦時中、戦後。境目なんてきっとない。ずっと昔から、今に至るまで戦争は続いている。また別の戦争が起こる可能性は常に存在し続ける。そして戦争で何かを失った人にとってそれは永遠に続く。戦争の気配はいつもすぐそこにある。

そしてそれは外側だけではなく、内にもあることを認めなければと思う。それは善悪を越え、流動的に形を変え人類とともにあった。自分には暴力性が無いと疑わないこと、自分が常に正しい側にいると思うことが、戦争の根本的な内訳そのものになりうるから。

寛容のうちには非寛容に対する非寛容が含まれている。

この映画をそのままに受け入れたい。そして外側に開かれた映画。
暴力の気配と内なる暴力性に、視線を持ち続けられる自分でありたい。残酷なものこそ、見られなくてはならない。それだけが唯一の救いだとこの映画が教えてくれた。見なくてはならない。この映画がたくさんの人に見られて欲しいなと切に思う。
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