ちょげみ

哀れなるものたちのちょげみのレビュー・感想・評価

哀れなるものたち(2023年製作の映画)
4.1
【あらすじ】
天才外科医ゴッドウィンによって為された"胎児の脳を大人に移植する"という狂気の実験で体は大人、頭脳は子供の女性として生まれ変わったベラ。
あっという間に成長し外の世界を見たいと願うようになったベラはゴッドウィンの反対を押し切り、放蕩者の弁護士ダンカンとの駆け落ちという形で旅に出かける。


【感想】
不気味で吸い込まれそうな世界観、不安定で不安を煽る音楽、素晴らしい美術、ヘンテコな設定、、、
強烈な違和感は映画館を後にしてからも拭えず、今もなお心の片隅にこびりついています。

今までにない強烈な映画体験でした。
なにぶん予告では内容が想像できなかったので。。
暖簾をくぐって店内に入ったら出し抜けに右アッパーをくらったような衝撃というか、肩甲骨を剥がされた後の何とも言えない気持ち悪さ(いい意味で)というのがいつまでも心の中に澱のようにたまっています。


正直どう評価したらいいか分からないな。。。
まあ自分のキャパを超えたものをみる体験というのは映画を見る醍醐味ではあるけれど、いざその体験をするともどかしい気持ちになりますね。
面白い、面白くないの尺度だと天秤がどっちに振れるかは分からないけど、印象に残る印象に残らないの二つで比べると間違いなく前者に秤が振れるので結果的には満足したといってもいいのかな...?


それはさておき。

ストーリーは至極単純(?)なもので、著しいスピードで成長する体は大人、頭脳は子供のベラが世界を旅する中で成長する話。

とにかく主人公のベラが魅力的です。
ベラは共に過ごす相手を変えつつも、この世のあらゆる快楽を貪り尽くします。


ゴッドウィンとともに過ごしたビックリハウス時代はものを投げる行為や自慰行為。

ダンカンと過ごした時期は性行為と暴飲暴食、ダンス。

老婦人と紳士と共に過ごした船上では読書と思索。

人間の快楽を(違法なものを除き)ほぼ満遍なく満喫し、それでいてより洗練され知的な女性にめまぐるしい速度で成長する姿を見るのはどこか爽快で、胸がすく思いがします。

ただ、ここで留意しておきたいことは、ベラには先入観や偏見が存在しないため、善悪に頓着がないというか、倫理観が俗に染まっていないんですね。

だからベラが楽しむ性行為、暴飲暴食、ダンスはただ"楽しいこと、気持ちいいこと"という一点のみにおいて共通していて、そこには細かい違いがありません。

今作で度々出てくる性行為にもその傾向は顕著に出ていて、キリスト教的思想が支配するあの時代のおいての倫理観に染まっていないベラの性行為は、背徳感や罪悪感とは無縁の、ある種の爽快感で溢れた営みとなっています。



そしてまた、ベラが「常識や不文律、マナー、礼儀」を獲得するプロセスもまた魅力的。

彼女は当初、泣いている赤ん坊を殴ろうとしたり、食事の席を共にしている婦人に歯に衣着せぬ物言いをしたりと傍目から見れば失礼な態度を取り続けていたのですが(脳は幼児だから当たり前なんだけど)、様々な人と出会い経験を重ね、最終的には礼儀をわきまえた思いやりのある人物に成長します。

とりあえず「常識」とか「当たり前」とか言われることに何の考えもなしに従うのではなく、世界を旅し、いろいろな人物と交流し、試行錯誤を繰り返し、考えを二転三転させた挙句に結果的に「常識」と同じ結論に達し、大人の振る舞いを覚えるっていうのがまたいいですね。

人が大人になるまでの理想的なプロセスを見せられると人も捨てたもんじゃないというか(誰目線だよ)、自分も頑張ろうと鼓舞される気持ちになります。


それにしても結局表題の「哀れなるものたち」の「哀れなるもの」というのはベラが出会う5人の男性達のことを示しているんですかね?

確かに5人の男達は目にも止まらぬ速度で変化、成長していくベラに比べたら魅力が幾分色褪せてしまうというか、生き方も立場も硬直的で身動きが取れないように見えるけども。

いや、哀れなるものというのは「是が非でも手に入れたかった執着の対象であるベラ」を手に入れなかった人達という意味なんでしょうか。

ベラは止まり木から次々と飛び移る文鳥のようにするすると、一緒に過ごす男性を変えていますし、そもそもベラは凄まじい速度で成長するため最初に惹かれたベラはもう存在していないとも言えるかもしれませんし。
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