KnightsofOdessa

芸術と手術のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

芸術と手術(1924年製作の映画)
4.0
[私の手は誰の手だ?否、私は誰だ?] 80点

何度も言葉にして口の中で転がしたい絶妙なセンスの邦題をしているが、原題"オルラックの手"の方が内容は理解しやすい。開始5分で『鉄路の白薔薇』レベルの列車衝突事故が起こり、世界的なピアニストのオルラックは両手を失う。名医によって別人の両手を移植するが、オルラックはそれが殺人鬼ヴァスールの手であることを知り、次第に彼に乗っ取られていくような感覚に陥る…ってどこかで観たなこの展開。少しばかり頭を捻って、それがガイ・マディン『Cowards Bend the Knee』であることを思い出す。しかし、おなじみ一連の奇天烈な設定の一つだった同作に比べると、100分近くに渡って"元の自分に戻れない"→"自分が別人である=ヴァスールである"と信じるに至り、犯してもいない犯罪について苦しみ続ける恐怖は何物にも代えがたい。このすり替えは彼を操る犯人によって誘発されるもの(つまり不自然なもの)もあれば、結婚指輪が入らない、筆跡が全く異なるなどオルラック本人から発されるものもあり、その巧妙さと追い詰める手数の多さに唸ってしまう。

『カリガリ博士』のロベルト・ヴィーネ&コンラート・ファイトのコンビなのだが、同作のごちゃついたセットとは異なり、だだっ広い空間に数少ない家具というセットが素晴らしく、荒涼とした心の砂漠を現実世界に具現化したかのような錯覚に陥るほどだ。オルラックがヴァスールを語る男を相見えるシーンの照明も良い。地下室の電灯がそれぞれの顔を照らし、他の空間を闇に投げ込むが、ヴァスール(を語る男)の帽子に遮られた光は彼の目に影を作る。こういった心的空間を具現化していくのはドイツ表現主義的だが、やはり『カリガリ博士』のときとは異なって写実主義も取り込んでいるらしい。

この時代のホラー映画って催眠術使いがち。
KnightsofOdessa

KnightsofOdessa