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Allegro barbaro(原題)のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

Allegro barbaro(原題)(1979年製作の映画)
3.0
[ハンガリー、激動の1930年代を生きる] 60点

ヤンチョー・ミクローシュ長編18作目。同年に公開された『ハンガリアン狂詩曲』から、終ぞ完成しなかった『コンチェルト』へと連なる三部作"Vitam et sanguinem"の第二作。この三部作ではハンガリー近代史を一人の人物の目線から展開するヤンチョー・ミクローシュ的叙事詩であり、三部作は順に1910年代(一次大戦期)→1940年代(二次大戦期)→1950年代(スターリン時代)を描いている。モデルとなったバイチ=ジリンスキ・エンドレという人物は、ある小貴族の長男であり、一次大戦前夜の1911年には弟とともに農民等の指導者を殺しているが、20年代以降は徐々にかつての友人たちから遠ざかり、対独対立と貧農擁護を目指して大衆政党を設立し、二次大戦中は対独レジスタンスの指導者の一人となった人物だった。一方の弟は矢十字党のメンバーだった。本作品では一次大戦後のエンドレ、もといジャダーニ・イシュトヴァーンの変化と弟(及び政府)との対立を描いている。イシュトヴァーンは名付け娘バンコーシュ・マリと恋仲になり、農民たちに自分が相続した土地を開放すると約束している。しかし、マリの年老いた父親はその目論見が失敗し、結局は農民たちと旧支配者層には分かりあえない溝があることを指摘する。物語はそのほとんどをヤンチョーらしく平原で展開するが、それは結婚生活を含めた全ての私的なことを世界と共有するという思想的な意味も含まれているのかもしれない。また、今回は煙を使用することで現実と空想を同じ長回しの中で完結させるなどの工夫も見られた。今回はトランポリンで飛び跳ねる女性たちが登場したり、煽り運転セスナやパラグライダーが登場し、無限に広がる平坦な世界の上下を意識させるような構図になっていたのも興味深い。ラストの空挺部隊の降下と結び付けられている気がする。モデルとなったエンドレはレジスタンスとして処刑されたが、本作品のイシュトヴァーンは時の首相を殺しても貴族で英雄という肩書から不問にされて飼い殺しにされているため、戦争を生き延びた共産主義者という点では戦後に要職につく可能性が高く、この後『コンチェルト』がどうなるのか観てみたかったなあと残念に思う。
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