「考えるな、感じろ」
考え出した途端に観客は容赦なく振り落とされ途方に暮れる。
瞬きもできないほどの目まぐるしいカットの洪水と心臓を鷲掴みにされるようなドラマティックなシーケンス。想定外のバイオレンスとオゲレツ極まりないギャグの連打。
そんな緊張と弛緩の絶妙なバランスの心地の良さに酔いしれる中、この物語の深淵さに気づかされるシーンが訪れた。
エブリンとジョイが生命の生まれることのなかった世界線で岩になっているシーンだ。
画面には崖の上に佇む2個の岩とどこまでも続く荒涼とした光景。そして聞こえてくるのは吹き荒ぶ風切り音のみ。2個の岩は当然発語することもままならず「意思」のみで会話をしている、そしてその会話の内容は淡々と字幕で示される。
これは枯山水であり、この会話、いや映画は禅問答ではないのか?(領収書に書かれた円や黒いベーグルはまさしく禅における「円相」ではなかろうか?)
全ては、あらゆるところに、一斉に(存在する/存在しない)そんな仏教的な色即是空の概念を量子力学的な多世界宇宙解釈(マルチバース)表現で我々に体験させようとしているのではないだろうか?
私たちは「世界」を共有しているという儚い幻想の中を生きている。しかし現実は私の「世界」とあなたの「世界」が交わることはなく、交わりたいと渇望すればするほど私たちの「意識」を通り過ぎた感情によって心は揺り動かされ自身の中に葛藤という暗黒宇宙を作り出すばかり。
葛藤は不安を生み、不安は衝突を生む。
考えるな、感じろ。
世界を掴み取れ。
目まぐるしいマルチバースが展開する時、まるで自分自身もちっぽけな素粒子になってマルチバースを彷徨ってしまったかのような不思議な感覚を覚えた映画だった。
未来は箱の中の生きてるような死んでるような猫ならば、まぁ、なんでもやってみようぜ!なんて勇気ももらえる作品でした。