凡ゆる点から集大成として位置付けられるべきだろうし、絵画は映画祭への目配せどころか北野映画が完全に芸術となった(なってしまった)何よりの証左である。
他の方の指摘通り劇伴もカットも模範から大きく逸れ>>続きを読む
女子修道院という禁欲的な世界において「愛」が多層的な意味を呈する。表面上は無償の奉仕という院内のシスター/姉妹愛に落ち着けられるが、心の奥深くに根を張る執着心は他ならぬ性愛である。
ブレッソンのシネマ>>続きを読む
実は観てなかった一本。めちゃくちゃ良い。ジーン・ティアニーへの平手打ち、チンピラの殴殺、ギャング団のリンチ/発砲といった「音」が相対化される豊かなサウンド設計。
照明も凄まじい強度を誇り、キャメラがフ>>続きを読む
再見。男女は振り返ることで背後に警戒しパートナーの存在を確認し合うが、幾度となく反復されるこの運動と呼ぶには余りに閉塞的で脅迫観念に囚われた安堵のための動作はラストで悲劇を誘発する。振り返った先の死、>>続きを読む
大恐慌渦でも常に自己犠牲に徹するキャプラ映画の主人公はちょっと闇深く感じちゃう。窓口に押しかける預金者どもの波をかき分け進んでいく支援者を捉えた俯瞰はさながら十戒で、善意の波が波及していく様も前半で噂>>続きを読む
普通に退屈でショック。召使いなので常に男装してるヒロインがドレスで着飾ると化けるっていうギャップ萌えは楽しめるが、あとの艶笑要素は瀕死のルビッチ。いにしえのシネフィルが褒める映画にはろくなもんがねぇ(>>続きを読む
この時代でサイレントってマ?
経営難に喘ぐ中小企業映画。内田吐夢って言われても分からんが、輸出先(ロシア)からの圧力にも日本人として誠意を貫けという姿勢はやや啓蒙的。原節子の役が重たいけど弁士がないと>>続きを読む
泣。無垢な乙女が母となってしまう話は『東への道』らしいが、シェストレムはグリフィスより容赦ないというか更に文学的。
焦点が合ってないような弱々しさで虚空を見つめるリリアン・ギッシュの大きな瞳がラストで>>続きを読む
カラー映える学園ミュージカルってだけで幸せ。1927年という時代設定は客層(主に帰還兵)の青春時代に合わせた懐古趣味であり、また終戦と赤狩りに狭まれた余りに短い楽観的な時代も象徴している。
歌は若干>>続きを読む
『ゲームの規則』『大いなる幻影』の原石。一方は上級国民を嘲笑し、もう一方はその尊厳を讃えているという矛盾!それよりも二つのフィルムが分岐していく以前の集合として観ると興味深い。
狂騒と多角関係は言うま>>続きを読む
ピクニックと同じ人生と河の同調。絵画的な構図と民族美学(哲学観)の遭遇から生じる世界は疑義ドキュメントなどではなく、それぞれ異なった人種のティーンらが享受するのは異性への接近と別れ、そして死という人生>>続きを読む
ルノワールは渡米後も決して真正面から資本主義を描写することなく、フランス時代に取り上げてきた極端な階級社会から解放されたようにある種の慎ましさを獲得していく。アメリカ時代というより寧ろ、『河』や『黄金>>続きを読む
ルノワールで最も優れている一本は何かと考えてみれどそれは不毛でしかなく、本作が格好良すぎて嫌いだと漏らしたのは誰だったか…しかし尊厳を忘れた現代人にはクライマックスの「国境を越えたら撃つな」が妙に染み>>続きを読む
美しく残酷な時の流れ。乙女の恋心は涙のような雨粒の侵食を重ね、堆積していく時の中で永遠に記憶されるが男女間に流れるパラレルな時間が再び交錯するラスト、男の中で体験は跡形もなく摩耗していた。後にも先にも>>続きを読む
ある落下死事件、たった一人の目撃者は視覚障害者の息子だった!的な予告あれ全部嘘じゃないすか。完全なる仰天ニュース案件、裁判もそうだけどクソみたいな夫婦喧嘩をノーカットで見せられて頭おかしくなりそう。>>続きを読む
カリガリからゴーレムへ。これは個人的にカリガリ博士より傑作だと思います。てかパウル・ヴェゲナー、ゴーレム好きすぎだろ。
怪物の「操縦者」という存在が表現主義映画において最も不穏な要素であり、それがラン>>続きを読む
百合摂取完了。メイドインチーナが私的ツッコミ史上かなり上位。
キャラクターの画素が若干上がってる気がして興奮したし、屋内は基本的にバストとフルの二種だったのでフレームから外れてきた天井の複雑な作画が突>>続きを読む
マクガフィン以上主役以下のプレ値銃をめぐる欲望説話。意図せず手元へ渡ってきた者は訳も分からず死んでいく不条理、人を殺める武器を取り合って殺し合うアイロニーに脳汁ダダ漏れ。虐殺シーンの縦構図がクライマッ>>続きを読む
ずっと見逃してたけどこれロッセリーニのベストじゃんか。森で祈っているとボロボロになった宣教師(?)が出てきて、ただ泣きながら抱き合って別れるだけの無言シーンがとんでもなく泣ける。ヤバすぎる。
原始人み>>続きを読む
別に何も書く必要ないとも思うが一応、俺は三宅映画を傑作というより単に「好き」と思ってるだけだと実感した。
原作読了してから観たので結論から言うと先に読んでおいた方が良くて、心理描写(主観ナレーション>>続きを読む
劇場で観たときも言葉が出てこなかったし、それを新作にむけてスマホで再見しようとやはりメモ程度にしかならなかった。
謙虚という表現は余りに言葉足らずだし、ショット次元においても予想外が殆ど起こらない映>>続きを読む
や、不謹慎とかではなく単純につまらな過ぎるだろっていう。こういうアイデア依存の話は映像化して傑作になるわけないんだからさ。でもワン公ぶち殺すシーンだけ原作に無かったからか流石に爆笑した。すまん
おもろーい。邦題が秀逸。四角関係のスクリューボール・コメディは男女2組と部外者がテンションの高さでカオスを引き伸ばしていくだけなんで基本的に乗れないタチだけど、これはゴシップ狙いの偽装結婚っていう動機>>続きを読む
洲崎遊郭の入口、隅田川を隔てた橋は渡らず止まれという赤信号。三途の川の向こうに広がるパラダイス(女にとっては地獄)は描写されず、外界の住民たちは現世と楽園を往来していく人々を見送るのみ。
大画面でも>>続きを読む
日常的な所作や慣習が原子化していくだけでギャグは成立するという発見、抜群の映像喚起力。てかジャンプ凄すぎてカットとか見えんぞ!
ベン・ハーはパロディというより制作中の超大作に対する内輪ネタだろうし、恐>>続きを読む
どくさいスイッチでありデスノートであり、資本主義の断罪や信仰心で上塗りしてもロッセリーニのアメリカ嫌いが露骨に出てる。
とにかくずっと漂ってる異様さが良くて、パレードの野次馬から突如1人の老人へズ>>続きを読む
蛇の道から抜け出して生気を失った男に同調するキヨシグリーン(言わずもがなキタノブルーの対義語である)、EUREKAを思わせる田村さんのズームアウト俯瞰は本当に贅沢だ。ローラースケートで滑るダンカン、車>>続きを読む
この頃から青山真治は映画と距離を置くようになったというか、何より自分自身と(不本意に)乖離していってるように思えてならない。本作は三部作の血統としてまだ好きなように撮れてる感じはする。
ちな中コピ>>続きを読む
かなり好き。共に祈り、威嚇し歌わせることでチームの団結を見せつつハカもどきが精度を増していく反復も良い。
集大成であるW杯予選は(キャメラともども)ボールを追えてなかった前半戦からマイケル・ファスベン>>続きを読む
不愉快
フッテージ以下の羅列とゴダール"風"サウンドモンタージュは尺以前に映画として成立してないし、その枠を超越するのがゴダール云々という意見はフィルターがかかってる。
強いて言語化するなら「イメ>>続きを読む
やーばいな。撮影が田村正毅さんでアングルを巧みに使い分け、過剰な切り返しも心理演出へ還元してしまう感覚こそ現代日本が欠いている才覚であるし、クライマックスの縦構図もジョン・オルトンみたいだ。
省略と>>続きを読む
ロイド然りシチュエーション劇も船上となれば画面が傾き、その傾斜から心霊現象が生じて優勢関係が逆転していく。限られた空間/人数の展開をギャグセンスで繋ぎ止めていくミニマルな映画的興奮から、ラストでしっか>>続きを読む
幸福とは誰かの犠牲の上に成り立っている云々。清水崇も観れてないしこれがJホラー座標上のどこへ位置づけられるかもサッパリ分からんが、割とふざけてるので脱力して楽しめまっせ。しかしエアプ勢的には色々雑すぎ>>続きを読む
このレビューはネタバレを含みます
正真正銘の遺作が公開されるということで、未登録の中では一番好きなので投稿しようかと。本編に一切触れることなく、数年前に記録はじめた時に書いていたメモが奇跡的に別のところに残ってたので、恥を承知で投稿し>>続きを読む
常に片腕を隠したトレイシーが醸し出すサスペンス、よそ者に殺気立つ町との距離が詰められると暴力が生じる。列車を降りる/乗るという単純な反復過程から、エモーションを微塵も感じない頽廃感がゴーストタウンの西>>続きを読む
火事場からの救助という時間制限によってスリルが生じる。本作では消防士の"夢"がカッティングなきラストミニッツレスキューを作動させているのだが、この「救出」ないし「捕獲」といったスペクタクル的運動を誘引>>続きを読む