YasujiOshiba

1860(原題)のYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

1860(原題)(1933年製作の映画)
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シチリア祭り(21)

DVD「イタリア映画コレクション」にて鑑賞。アレッサンドロ・ブラゼッティは1900年生まれで、戦前戦後のイタリアで映画を撮り続けた監督。その『雲の中の散歩』(1942)などはヴィスコンティの『郵便配達は2度ベルを鳴らす』とならんで、ネオレアリズモのさきがけとなる作品と言われているけれど、こちらはそれよりも10年ほど前に撮られた歴史物。

タイトルの「1860」とはもちろん、ガリバルディの千人隊がシチリアに上陸する年。しかしブラゼッティは、記念碑的で英雄的な映画にすることはない。主人公のカルミネッド(カルミネ)は、放棄した村の青年であり、演じるのは職業俳優ではなく、しかも言葉はシチリア方言。

興味深いのは、ブルボンの兵士たちはドイツ語やランス語を話すことであり、主人公のカルミネッドは、ジェノバへの旅の途中で知り合う知識人たちと話し合うのだが、彼らもまたそれぞれの故郷の言葉を話すのだ。それはもちろんある効果を狙ったもの。ブラゼッティはこう語っている。

「(『1860』を)思い出して誇りに思うことがあります。わたしがイタリア映画のなかではじめてシチリア方言を話させたということです。しかもそのシチリア方言の傍には、トスカーナ方言、ロマーノ方言、ロンバルド方言と並び、すべてがひとつに団結し、ドイツ人やフランス人のドイツ語やフランス語に向かうことになるのです。Con una certa fierezza mi ricordo di essere stato il primo a far sentire il siciliano, accanto al toscano, al romano e al lombardo in un film italiano, e tutti questi dialetti, uniti a fronte della lingua francese e della lingua tedesca, di tedeschi e francesi.」
(https://www.academia.edu/3217848/1860_di_Blasetti_lintezione_di_andare_al_vero_)

こうしたリアルな効果を狙うため、ブラゼッティは1932年にはパレルモに赴き、歴史の面影をのこすロケ地をハンティングし、新聞に広告を出して出演者やエキストラを募ったのだという。(https://ricerca.repubblica.it/repubblica/archivio/repubblica/2010/05/04/cosi-nacque-1860-il-film-sui-mille.html)
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