向いている人:
①何かしらの「表現」に関わった経験がある人(歌、お芝居、絵、小説、映画などなど…)
②仕事や学校などで、周りの評価を得られないと悩んでいる人
お久しぶりです、映画ネズミです。
『名探偵コナン』『ドクター・ストレンジ』『シン・ウルトラマン』『流浪の月』など、映画界も盛り上がってきましたね。
そんな中、チネマットオンライン試写会で鑑賞しました。
うだつの上がらないロックデュオの信太は、シンガーソングライターの月見に助けられたことから彼女と仲を深め、彼女のマネージャーとなって彼女に自らの夢を重ねていく……という物語です。
僕は「表現者」という立場に立ったことはなく、そうした人々の感情を十分に理解できていないかもしれません。
信太も月見も、「自分のやりたいこと」があってそれをやっているのに、「世間の評価」を受けているとはいえない立場です。
「世間なんかどうでもいい!自分のやりたいことを表現するんだ!」という思いと、「世間に評価されたい」という思いのせめぎ合いが様々な形で描かれていた気がします。
月見は、「自分に特定のイメージを押し付けようとする人」に激烈に反発します。自分の表現したいことを、他人に手軽に消費されたくない。何かを生み出す人は、そうした思いを常に抱えているのかもしれません。
アイドル歌手である菊地は、彼女と対極の存在です。彼女も彼女なりに表現したいことがあったと思いますが、それよりも「自分に対する世間のイメージ」を体現し、「アイコン」となることを選んだことによって、彼女なりの立場を築いています。
難しいですよね。何かを表現したい人は、常に「自分の思い」と「世間のニーズ」のギャップに晒されると思います。どちらを追求するのか選ぶのはとても難しい。菊地のようにある種割り切って考える人もいれば、月見のように悩む人もいます。
とはいえ、ある作品を公共に発信して良い評価を得られなかったからといって、「この作品を理解できない、否定する世間が悪い」というのは、感情論としては理解できますし共感もできます。
でも、それを作品の受け手にぶつけてしまうのは、傲慢だと思いますし、筋違いだと思います。「観客は神様だ」と言いたいわけではないですが、少なくとも観客はその作品を享受するために時間やお金を使っているわけですから、その立場でなされた様々な評価は、作り手として真摯に受け止めてほしいと思います(もちろん観客の側も、マナーを守り、作り手や関係者の人格攻撃になるような言い方はしないことは大切ですし、きちんと作品を受け止めて評価することが望ましいとは思います。)。
月見を演じた早織さんの演技は本当に素晴らしかったです。彼女の、やさぐれつつも時に清々しい姿が印象的でした。
中盤に、月見の編曲担当によるアッと驚くシーンが挟み込まれて、そこも大きな魅力です。「ナニコレ」感がハンパじゃないですww
終盤のシーンは、大いに賛否が分かれると思います。
表現者としてのギャップ、それはそれ以外の人にも起こり得ることです。自分では頑張ってやり遂げたことでも、上司や先輩や周りの人から評価されることは難しい。その時には、それらの人々の、ある意味容赦ない評価に晒され、傷つくこともあります。そこでどう行動するのか。この作品のどの登場人物の選択を選ぶのかによって、人生の見え方が変わってくると思います。
音楽が主題の映画ですが、人生そのものを描いた映画だと思いました。