Solo1968

Fukushima 50のSolo1968のレビュー・感想・評価

Fukushima 50(2019年製作の映画)
2.3
 主役のお二方無しでは成り立たない作品で、主演以外のキャストも豪華絢爛で、本当に一流を大集結した作品とつくづく感じた。

 世界史に残る天災が引き起こした恐ろしい事故は、本作品で描かれる極一部の現場でも恐らく実際は作品で描かれている以上の想像をする事も困難な程の地獄絵図なのは誰しもが思うところだと思う。
 震災、原発問題に関しての見解は、ある一面だけで語るべきでは無いし、誰が悪者などという簡単に決められるものならば、現時点で日本も世界も別な方向に激変しているはずで、そう出来ない色んな問題があると言う事として色メガネをかけずに見たつもり。
 
 本当に大きな問題であり、そして知っている事や知らない様々な団体の関係など、どこまで本作が表現出来るのか?許されたのか?など、それらの問題を提起する作品だとすると当然こんな短い尺では不可能で、あくまでも あの場の現場の方々を取り巻く身近な関係者に絞った作品。
 落とし所としても、現時点でも 僕らの未来は、安心して生きていける保証も無い中、そういう不安要素を投げつけて終わらせる作品ではなく、より最悪の事態を回避出来た 奇跡?としてコンパクトに締めくくっていた。

 冒頭から、SF映画などではお馴染みの 誰があの場にいくのか?残るのか?という熱き男たちのドラマが出て もうその会話にも早くも涙が出る程。また この現場と政府とのやりとりにおける 政府のボタンの掛け違い?感もとてもわかりやすく描かれていて、小学生でもきっとわかるような配慮すらも感じた。実際に国の上層部がどこで何を話し 何のために何をすべきか?などは僕らがメディアで見聞きしているものが本当かどうか?この作品の演出が正解なのかは謎ではあるが、意図的に 無能感を全面に押し出した総理ではあるが、文句を言うのは簡単だが、国の代表として何を優先すべきなのか?その判断も彼個人のものではなく、名称はわからないが、取り巻きである手下の助言をもとに発しているものであろうから、一概に総理の判断がダメってことで片付けるのも幼稚な気がする。

 さてさて、渡辺謙、佐藤浩市を存分に味わえた本作だが、それぞれの家族のエピソードとかもあった方がいいかもしれないが、なくても十分に感動出来たとは思う。

 複数回発生する爆発場面のCGのお粗末さも許容範囲内だったけど、何よりも違和感があったのは、アメリカ人の役者さんのセリフとその棒読み感が 日本の一流俳優さんとのコントラストが凄く、バラエティー番組の再現シーンに出てくるようなお粗末な芝居がとても残念だった。
 中学校の教科書にでるような、生きてない セリフ、、というのかな?外国映画ではこんなリズムで話しているのは見た事なく、凄く不自然で 萎えた。
 もちろん、アメリカが日本に対しての支援を率先して行ってくれたと言う事をわかりやすく伝えたいというのはわかるが、何故ここまでお粗末な芝居でオッケーにしたのか?とても残念。

 本作が描くあの事故と現場を守った人々。主演お二方の迫真の演技でだれずに見られたが、かと言って あの事故とこの先の自分達の住む日本の問題について、この映画をきっかけに改めて考え直さなければいけない、などと想う程には至らず。

 テーマがテーマだけに、風呂敷を広げすぎても二時間程度ではまとめるのは難しいだろうし、かといってここまで絞ったものにすれば、いやいや、全然まだまだ何も終わっちゃいませんよ、ってなツッコミも多くなるし、あの事故を取り扱う映画というのはハードルは高い中、作品として完成させた関係者の方々に拍手
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