本作の公開のニュースには心が躍った。
ハリソンフォードが何とかラストとなる作品に参加して作ってくれたという事だけで、観ないでも満足なんじゃないかとすら思ってた。
二作目の
魔宮の伝説は中学二年の青春時代に、友人と歌舞伎町に行って、ギリギリ始まってしまっている状態のなか、友人は
インディーは途中からなんて見れないよ!と
人生初めての決裂を果たした映画で、僕は本編開始四分後から観た、そんな思い出がある作品で、もちろん観られなかった出だしは当時の映画館事情なので、そのまま座って次の回のでしっかり、またラストまで見た思い出のある作品で、おそらくシリーズ中一番好きな作品のはず。
その後の作品はほとんど覚えていない。
んで、本作。
んー〜、、、、自分の心が色々と四十年で汚れてしまったのが原因か、、楽しめるはずが、全く楽しめず 個人的には残念な、なんというか、老いることで輝く魅力よりも、老いることの辛さを作品と自分に感じてしまったという、。
もちろん、ファンサービスというか、シリーズでのお約束場面は もう言葉の通り お約束なので、数十秒?前から分かり切っているので、なんというか、、、嬉しさも感じられず。
こんなにはちゃめちゃアクションシーンばっかりだったか?と思うほど いささかやりすぎ感と尺の長すぎるアクションシーンには、一瞬たりともスリルを感じられなくなった自身の心の汚れにもうんざり。
当時の作品の今からするとお粗末と言える合成などは今見てもスリリングに感じるのは何が原因なのか?どうせフルCGなんだろうよという色眼鏡で見ているからなのかもしれない。
冒頭において現代のCGなのか?その手の技術で若きころのハリソンフォードに編集しての場面は自然に見ることが出来たけど、あれもサービスなのか?、別にもうあまり驚きもしないし、作品本編における老いたインディーとのコントラストが逆になんか切なくなった。
マッツミケルセン以外の相棒やら仲間の女性や男の子もどうも薄っぺらで、全く感情移入すらできず
キーホイクァンはよかったよなぁと、作品から考えも逸れてしまうほど。
想像もつかないほどの制作費がきっていることは誰でもわかるはずだが、、ん〜どこの層を狙ったのか?リアルタイムの世代の自分には正直擦りもしなかったのは、色んな意味で残念。
けれど、あくせく働く必要もないであろう、ハリソンフォードがガッツリとインディーを引き受けある程度のアクションまでをやってくれたことや、大好きなあの苦笑いの表情も沢山見られたことに大きな感謝。