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ホワイト・マテリアルのnetfilmsのレビュー・感想・評価

ホワイト・マテリアル(2009年製作の映画)
4.1
 一番最初に想起したのはフランシス・フォード・コッポラの『地獄の黙示録』で、観ている間ずっとあの傑作の印象が消えなかった。マリア・ヴィアル(イザベル・ユペール)は白人のフランス人農家で、元夫のアンドレ(クリストファー・ランバート)と病弱な父親のアンリ(ミシェル・スボール)とともに、コーヒー 農園を経営している。まずクレール・ドニはマリアとアンドレの関係性を元夫婦だと規定せず、家族関係を含めて大変判り難いのだが、2人は恐らく元夫婦で間違いないだろう。マリアとアンドレには、怠け者で精神的に不安定な息子マヌエル(ニコラ・デュヴォーシェル)がいるのだが、彼が典型的なダメ息子で、母親の過保護により何とか生きている。このことは後半、彼女の労働者たちへの感情との対比を占う意味でも非常に重要だ。アンドレはアフリカ人と再婚していて、ハーフの息子ホセがいる。大寺氏は舞台はカメルーン周辺のコートジボワールではないかと推測していたが当時コートジボワールでは内戦が勃発し、その多くが少年兵である反乱軍兵士がその地域に進軍していたという。フランス軍は撤退することになり、マリアに退去を最後の懇願するが、彼女は家族の家を守りたいという願いを曲げず、警告を無視するオープニングが狂気そのもので、彼女自身は既に混乱の只中に居ることがわかる。

 一方、反乱軍の DJ はラジオで反乱軍に植民地主義の象徴への攻撃を促し、兵士を勇気づける。ここで流れるレゲエのリズムがとにかくカッコ良い。クレール・ドニの映画はとにかくサウンドの決まり方がべらぼうにセンスが良いのだ。マリアの従業員たちはコーヒーの収穫よりも、今後の紛争を恐れて敵前逃亡してしまったのだが、彼女のこの地に留まるという意志は固い。5日後の収穫の日を逃したくないと彼女はゼロからの雇用に励むのだが、札束で頬っぺたを叩けばどんな危険でも厭わないという地元民は後を絶たない。ある種、今のスターバックスや他のコーヒー・チェーンの隆盛を見れば、21世紀にも国際的な搾取的な雇用構造は深刻で、我々が普段飲んでいるコーヒー豆の背景にはこのような残酷な物語が横たわるのだ。肌の色の違いから永遠に部外者と呼ばれ続けなければならない苦しみこそがクレール・ドニの重要な主題で、それでも彼女は戦場の狂気へと駆り立てられるのだが、彼女の病巣を1人抱えきれぬまま受け入れた息子のマヌエルの『フルメタル・ジャケット』ばりの終盤の半狂乱が凄まじい。渦中に置かれるのはマリアともう1人、ボクサーだった名無し(イザック・ド・バンコレ)なのだが、彼こそはドニの処女作『ショコラ』で使用人の黒人青年プロテを演じた男なのだ(師匠ジャームッシュの『リミッツ・オブ・コントロール』の主人公!!)。内戦がもたらした悲劇が強者と弱者、雇用主と労働者、支配者と奴隷の関係性すらも破壊して行くクライマックスの狂気は今観ても凄まじい。紛れもない戦争映画である。
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