三國

沈黙ーサイレンスーの三國のレビュー・感想・評価

沈黙ーサイレンスー(2015年製作の映画)
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時代がここまで差し迫ってくると、封建制度の日本やべえでは済むまい、わざわざ地球の裏側からやってくるポルトガルのおっちゃんも大概にやばい。むしろ両者を比較すれば、国内の治安維持を第一とした役人連中に肩入れしてしまうのが平成生まれ、ゆとり教育の申し子たる私の感想だ。

率直に、キチジローあかんやろ。
あんなんが、フィルムに顔を覗かせないといけなかったのが、やっぱり遠藤周作という気がする。いや、わからんじゃないよ? でもわざわざ、筆を取らせる程のことかね。遠藤が立派な殉教者ばっかりが書き残されるから…ってなことを書いてた気もするが、ーーどーも戦後文学は反動的だネ。

それにしても、日本を“沼地”とは上手くいったものだ。この映画でさえ、受け取られ方は海向こうの地に足ついたものとは異なるんだろう。「ようこそ」なんて云ってみても、暮らし手である我らからすると、気恥ずかしい気もする。
吉本隆明やら加藤典洋やらが志向したのもこの沼地だろうが、だとすればキリスト教本来の絶対性=反沼地性? 新保祐司とか富岡幸一郎とかの云う“垂直性”の意義が改めて問い返されてもいい。

フェレイラ、だっけ? あの棄教した先輩のサワノタクアンさん、カッコよかった。一眼見て「カッケー」だったね。スコセッシも意図してたんかな。生きるって云うのは、純真無垢に自分の信じてるものだけ一途に行けばいいんと違いますよ、絶対に並び立たない両者を携えながら、うまくやるーーそれでいて激しい、真の宗教心は失わないーーそういう態度が大人なんですよ。
というところから見ると、若干、日本人のしたたかさを捉えきれてないかも?笑
スミマセン、亡くなった人たくさん居たんですよね? でもまあ、それは個々の選択なので。その、個々の選択を信じれず、人に噛み付いてくる奴は、当然のことながら神を信じれてないし、だから群れの論理で動いてるだけ。もっと、ちゃんと信じろ。
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