雨虎

ドラえもん のび太とブリキの迷宮の雨虎のネタバレレビュー・内容・結末

3.5

このレビューはネタバレを含みます

序盤で道具に頼ってばかりいるのび太に対して「自分の力では何もできないダメ人間になってしまうぞ」と叱る場面がある。今作はそれを一つのテーマとして考え、表現した作品だと思う。実際に、のび太が道具に頼る展開は多く、当時もドラえもんに甘すぎるという批判も出ていたようだ。

チャモチャ星では人間が楽に生活できるようにロボットが様々なことをしてほぼ完全のオートメーション化が進んでいる。指先だけで生活できるという苦労知らずの星。そういう世界では体力が低下し、自分の足で歩くことすらままならなくなってしまっている。
この当時のことを思い返すと苦労するという行為そのものが美徳とされていた部分があった。しかし、様々なことが機械で楽になりつつある時でもあったため、現実でもそういったことは起こり得るというある意味ではディストピア的な要素を含んでいるように思う。

物語として、序盤はブリキン島で過ごした時間が多い。のび太らは楽しんでいたようであるが、ブリキン島自体がブリキでできており、そのブリキは本来、人の手によって作られていたものだ。しかも、ホテルという人に対する建物もある。しかし、いるべきはずの人はおらず、静かすぎる。序盤では声がしてものび太やドラえもんの声か、ブリキンホテルのブリキたちだ。この違和感が強く、不安を強く煽られた。

ドラえもんの誘拐、そして故障と立て続けに故障の展開がある作品が続いた。やはり何度見ても絶望感は強い。そして、絶体絶命とも言える状態でのび太たちはサピオに強引に地球へと送り返される。サピオという友達を見捨て、ドラえもんだけではなくジャイアンやスネ夫にも会えなくなるという状態は辛い展開ではある。
しかし、ドラえもんのスペアポケットという逆転の案が出てきて、しかものび太が冴えてる状態となり、その時点でもう大丈夫という安心感が生まれた。

ナポレオン、チンギス・ハーン、ヒトラーの三人を組み合わせた名前のナポギストラーを倒し、チャモチャ星のロボットによる支配は解かれた。公爵が原始時代の話を用いて、終わりではなく始まりだと勇気づけるシーンがあるが、これは前作『雲の王国』と真逆の考え方だ。
ただ、ブリキのロボットという生活の助けになってくれる存在がいる。彼らを否定したり、危険視するのではなく、どう扱うか、どう共存すべきかについて注目し、藤子・F・不二雄はあくまでも自分の力で物事を解決したり、生活をすることが生きるということではないかと問いかけているようにも見える。

AIによる発展が目覚ましい一方、作中で危惧されたような内容にもなり得るという危険性が今の社会にはある。その他のSF作品にもそのようなメッセージを持っているものも見かける。うまく共存し、ドラえもんがいるような世界が22世紀には到来していることを願う。
雨虎

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