アー君

道のアー君のレビュー・感想・評価

(1954年製作の映画)
3.7
粗暴の大道芸人ザンパノと金で売られた少し知能が遅れたジェルソミーナの関係は、男の我儘と女の誠実さといえば聞こえが良いかもしれないが、客観的にみればアダルトチルドレン同士による断ち切れない共依存の関係であり、例えは悪いがカサンドラ症候群の起源であるかもしれない。

「どんな物でも何かの役に立っている。この石ころだって。」

これはサーカス団の綱渡り芸人であるイル・マットがジェルソミーナに励ました言葉であるが、フェリーニがイル・マットを介した事で伝えたかった彼なりのヒューマニズム(人道主義)であり、戦時中の排他的なファッショ体制(全体主義)に対しての批判による政治的な背景や意味も込められている。

「神の道化師、フランチェスコ」において、神との出会いがハンセン病患者であれば、本作における神はイル・マット(キ印)、善の象徴であるジェルソミーナは無垢(イノセント)な天使であろう。

ザンパノが積年の恨みからイル・マットを殺めたことで物語は急展開する事となる。数年後、別れたジェルソミーナの最後を知ったザンパノの悲しみは惜別による後悔ではなく、身勝手な自己愛から溢(あふ)れ出る嘆きであることに私たちは決して共感をしてはならない。

しかしながらニーノ・ロータの悲哀に満ちた旋律が物悲しく、この物語の終わりにやるせない思いを抱かせる。そして第二次大戦後に現れたネオ・リアリズム映画※の過渡期を感じさせる作風でもある。

道とは車が行きかう通路など物理的な意味であるが、物語における事件現場でもあったが、哲学的な視点に立てば生き方や人生訓という意味合いも兼ねている。ある意味でサンバノが過失でありながらも人を殺めてしまったことが、彼の人生における分岐点であり終点であったと言えるのだろう。

※ イタリアで盛んになった映画の手法。ファシズム文化への抵抗、また戦後の混乱期の現実をリアリズムの方法で描写する表現である。この運動は日常語を模範とした分かりやすく直接的な言語が用いており、社会的テーマを多く扱っているのも特徴である。
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