義清

ランブルフィッシュの義清のレビュー・感想・評価

ランブルフィッシュ(1983年製作の映画)
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解説にもあったとおり、確かに『アウトサイダー』を思わせるが、こちらはより詩的。流れる雲や建物の影の時間経過による伸長、壁に映した犬や人の影などが印象的。
乱闘シーンは秀逸。相手が刃物を抜いた瞬間のラスティの浮き足立つ足もとの描写とか。なんだか忘れたけど、およそ戦闘的でない雰囲気のBGMとか。
ベタの鮮やかな紅と青は美しかった。特にバイクボーイが撃たれた拍子に草むらに投げ出されてぴちぴちとうごめいている時のぬめった輝き。早送りで観直したときに、ベタがそれ以前にすでに一度登場してたことに気付いた。それはケンカの申し込みを受けたラスティらが溜まり場のバーを後にして通りを歩く場面。ペットショップの中からのショットで、水槽越しに彼らが歩く姿が映されてた。ケンカの開催場所も、たしかペットショップ裏だか横だかと言ってた。結末の舞台としてのペットショップは決して唐突なものではないのだ。
ラスティは気絶したり、うとうとしたり、シラフでなくなったり、兄の姿を見失ったりする。これがモノクロの幻想性との相乗効果で、物語全体が夢の中の出来事のような、非現実的な印象を与えている。これに拍車をかけているのが、棚の上に寝そべるガールフレンドや早回りの時計の針、前述の影の描写などであろう。また、バイクボーイやその彼女のヤク中代用教員、兄弟の父親のアル中弁護士やバーの店員などは、まるで亡霊のように地に足が着いていないといった雰囲気で、それ自体が幻想的。
バイクボーイはかつて不良のトップでありながら、皆にケンカをやめさせる。ベタを川に放してラスティにバイクを与えて街を離れろと言った発想は、それに通じる。兄弟の父親は、ラスティに対して、バイクボーイを時代を間違えて生まれた不幸者だと評する。兄弟にとっての街はベタにとっての水槽であり、バイクによって川に放たれる必要がある。これだけの複雑な軸が、全て登場人物のセリフで婉曲に示されている。
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