白人至上主義のデレクの過去と成長を描いた問題作です。
本作はデレクの弟ダニーの視点で描かれ、白人至上主義者に傾倒した兄弟が兄デレクの服役をきっかけに、なぜ自分たちが差別主義へ暴走したのか、その原因に気づいていきます。
あまり日本人には馴染みがない人種差別がテーマで、文化の違いもあり、OPから銃でバンバンやりあう光景がまるでギャング映画の様に見えてしまいますが、銃社会のアメリカではこれがごく普通に行われているのが恐ろしいです。
デレクが黒人殺害で捕まる前にギャングとして活動をしていた過去が、白黒で回想されるのですが、その演出が何とも偏った彼の当時の思考を再現していて、ユニークだなと思いました。
「怒りは、君を幸せにしたか?」
スウィーニー校長の言葉や、囚人仲間ラモントの存在でデレクは、いかに自分が誤った情報で白人至上主義に振り回されていたのかに気付きます。
「俺はラッキーだ。自分の間違いに気づいた。自分なりに考えた。なぜ、暴走したのか。原因は怒りさ。怒りは、2人の人間を殺しても消えなかった。空しくなって、怒る気力も失せた。お前の生き方まで強制はしない。だが、理解してくれ」
デレクの暴走は、父親の存在がかなり影響していたと思います。デレクの父は、本人も無意識のうちに、根本的に黒人の教師が白人の生徒を教えるという関係自体に不満を持っていました。ここに、アメリカ社会の人種差別の根深さがある様に思います。その潜在意識をデレクも洗脳の様に受け継いでしまっていたのだと思いました。
「憎しみとは重荷であり、怒りに身を任せ続けるには人生は短すぎる。怒りにそんな価値はない」
これは、ダニーのレポートの言葉です。この言葉を残したダニー自体がラストその言葉の報復を受けてしまうのがあまりに残酷で可哀そうでした。
デレクの過去の清算をダニーが身代わりになることによって、現実の厳しさや不条理さ、さらにこの差別主義は、これからも負の連鎖の様にループすることを示唆しているような気がしました。
ただ、デレクを試練の様に試しているようにも見えました。OPで本人が犯した黒人殺害の罪や、ギャングとしての経歴は、ダニーやラモントのおかげで通常よりも軽い服役にしかなっていません。「怒りをコントロールしたようにダニーに弁明したならば、それを体現して見せろ。」という、監督の意図にも感じました。因果応報の報いを受けたデレクがあの後、どういう行動をとったのか、そこを考えるまでがこの映画のエンディングの様に思います。
彼の性格からして、復讐の道を辿る未来しか見えませんが、なんとかダニーの死を無駄にしない為にも、白人至上主義の連鎖を断ち切って欲しいと願うばかりです。