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プリンセス・シシーのodyssのレビュー・感想・評価

プリンセス・シシー(1955年製作の映画)
3.2
【史実とおとぎ話の混合】

オーストリー=ハンガリー皇帝フランツ・ヨーゼフ(1830-1916)の后となったエリーザベト(愛称シシー、1837-98)が皇帝と出会って結婚するまでを描いた映画です。1955年、オーストリー製作。

エリーザベトの物語は最近は日本の舞台でもよく上演されるので知名度が上がっていますが、実在人物としての彼女は皇后である間は公務もろくに果たさずに旅行ばかりしていたので国民のウケは必ずしもよくなく、国民に敬愛される存在とは言えなかったようです。それが、お忍びでの旅行中に暗殺されてしまい、それから彼女の「神話化」が始まったといいます。その辺は、英国皇太子の妃で離婚後事故死したダイアナと似ていますし、また――失礼ながらまだ存命中ですが――某東邦の君子国の皇太子妃とも似ていないでもありません。

この映画の大まかな筋書きは実際にあったことをなぞっています。すなわち、青年皇太子は母の差し金で、母の妹の長女(つまり皇太子の従妹)であるヘレーネと見合いするために旅行して叔母およびその長女と会うのですが、一緒に来ていた次女のシシーのほうに一目惚れしてしまい、結局妹の方を皇妃に迎えることになるのです。

シシーの父はバイエルン(ミュンヘンを中心とする地域で当時は独立した王国)の公爵でしたが、身分や格式にこだわらずに生活を楽しむ気風の人でした。そのためシシーも小さいときから好きなことをして育ち、皇妃としてウィーンの格式張った宮廷生活を送ることには耐えられなかったと言われます。

そのあたりは映画でもそれなりに描かれているのですが、皇太子とシシーの出会いの場面などはいくらなんでも映画チック過ぎる創作で、この辺はまあおとぎ話として楽しんでおけばいいのでしょう。

あと、問題はロミー・シュナイダーがシシーとして適切かどうかということ。実際のシシーは撫で肩で痩身でしたが、ロミーはどちらかというとがっちりした体型ですし痩身とも言えません。シシーは当時の宮廷世界では随一の美人といわれましたけど、現在残っている写真や肖像画で見る限り正統的な美人で、ロミーのような個性的なタイプとはちょっと違うように思えます。もっとも、「野生児シシー」というイメージを優先で考えれば、ロミーでもいいのかも知れませんが。

当時の宮殿の様子や、儀式や婚礼や舞踏会などの視覚面での楽しみは十分に再現されています。

なお、日本ではミュージカルで「エリザベート」という標記が採用されたのでそういう発音だと思っている人も多いようですが、アクセントは第二音節にあり、「エリーザベト」か「エリザベト」という標記が実際に近いことは知っておいていいでしょう。
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