雨虎

ドラえもん のび太の恐竜の雨虎のネタバレレビュー・内容・結末

ドラえもん のび太の恐竜(1980年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

藤子・F・不二雄が短編作家であると制作を断ったものの、短編の原作コミックスにあった話の続きを提案して考え直して映画化されたという経緯がある。当時は今ほど明確なメッセージ性を作品に盛り込むといったこともなさそうだ。純粋なエンタメ作品として楽しめる。

しかしながら、やはり子供向けの作品ということか、今にして思えばやや疑問に思う所もちらほらとあった。例えばタケコプターの電池だ。確かに休み休み使うことで多少なりとも長持ちする経験は誰にでもあるだろう。しかしいくら当時の地形が今とは違うとは言っても数千キロの単位であることは変わりないだろう。そう思うと、いくら長持ちしても厳しい。少なくとも不眠不休で歩いても大人の足で1ヶ月はかかるだろう。子供向けというのもあるかもしれないが、今みたいに細かいところをつついてくる大人もいないおおらかな時代というのもあったのかもしれない。
ただ、最も簡単な方法は、現在地からタイムマシンで現代まで移動し、現代でアメリカから日本にどこでもドアで帰れば良いという方法があるのだが…

ストーリーに関してはとても良い内容だった。
原作の短編に忠実な内容でありつつも、しっかりと内容が拡大され、むしろ短編のほうが物足りなさを感じてしまうほどの厚みがある物語だったように思う。
子供の言う「昔」がどれくらいなのか、1億年に対する印象などは本当に子供から聞いたのではないかと思うほどの共感性を生んでいる。他にもティラノサウルスは今でこそ違うが、天下無敵とも言えるべき活躍も迫力がある。語源ともなった暴君にふさわしい強さだ。

そしてピー助との別れは年齢によって受ける印象が異なるだろう。幼い頃に見れば一緒に過ごしてきた友人との別れであり、親ぐらいの年齢になれば子供との別れにも見える。そしてピー助も小さな姿が多かったということもあり、異性への興味が出ているのを見ると、親が感じるようなそういう年頃になったのかという感慨深さを感じる。

映画ドラえもんの中では最も時代が反映されているようにも感じる。ゴミを捨てる際に使う穴、子供が高いところへ登るという無茶、今では少ないが鼻からスパゲッティを食べるという描写もこの年代ならではだろう。

初めての映画ということもあり、藤子・F・不二雄はなかなか勝手がつかめていなかったのかもしれないと思うくらいの疑問点は出てくる。しかし、それを踏まえたうえでも古き良きドラえもん映画の一つ、代表作として恥ずかしくないとは思う。
雨虎

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