【死刑を考える】
※4Kリマスターリバイバル上映
後にアメリカを揺るがした重大事件のひとつと言われるようになった冤罪事件だ。
1960年代の終わり頃は、アメリカン・ニューシネマの牽引役となった「イージー☆ライダー」が公開されて、アメリカが批判的な視点も含めてアメリカ自身を見つめ直す雰囲気が醸成されつつあったが、この「死刑台のメロディ(1970年)」はイタリアとフランスの合作作品だ。
それほどアメリカにとって、これは映画としてナーバスな題材だったのだと思う。
そして、この事件が冤罪だったとアメリカで認められるのは1977年のことだ。
だが、昨今のSNSを中心とした歴史修正主義はアメリカにも同様にあり、これは冤罪ではなかったと主張するものが出てきている。
この事件が起きたのは第一次世界大戦が終わって間もない頃だ。
ヨーロッパからの移民も相当な数に達し、大戦の煽りによる不況は犯罪など社会不安にもなり、社会主義的な政治思想を掲げるものも多く出て、もともといたアメリカ人の脅威にすらなっていたのだ。
映画では、「radical」をアナーキーと訳してる場面がほとんどだが、本来は急進的とか急進主義的という意味で、社会主義や共産主義的な思想も含んでいるので、アナーキーというのが適切なのかはちょっと疑問だ。
この二人に刑が執行されたわずか2年後に大恐慌に突入するというのもどこか皮肉な感じもする。
日本にも、まだ決着はしていないが、映画にもなった「袴田事件」や、まもなく公開予定のドキュメンタリー「正義の行方」が扱う「飯塚事件」も冤罪事件だとして報じられることが少なくない。
死刑制度にとって冤罪は致命的だ。
EUは死刑を禁じている。
アメリカの相当数の州も死刑を禁じている。
オウムのテロ事件の後も、秋葉原や、神奈川県の知的障害者施設、京アニなどで凶悪な事件はなくならないが、一旦落ち着いて、日本も先進民主主義国家として、死刑とどう向き合うべきか、死刑の存続が本当に凶悪犯罪の抑止になっているのか、国家が人の命を絶って良いのか冷静に考えてみるべき時が来ているような気がする。