人間は良くも悪くも環境のいきもの。
ベラにとってはハッピーエンドだが、その幸福の在り方は誰に、何につくられたものだろう?
世界の美しさと比例するように男たちが醜く心が貧しい。(一部女性も)
色彩がない世界から解放され、色彩豊かな世界へ。
美しいだけではない社会を知り、変化していくベラ。
変化というより自分を知る、つくりあげていく。
様々なクソッたれな常識をクソッたれな男たちを介して知る。
世界を教えようや、ほんとうを教えようなど、耳が腐るような言葉で、欲望を解消する男たち。
マーク・ラファロ演じるダンカンは誰が見てもクソで、段々と無様さを加速していく姿は滑稽だった。
豪華客船にいた女性と男性。
2人は知的だが、男性の方は幼い。
現実の暗い面だけを見せつけて、世界の本当だと教えるのは浅はか。
まあ謝ってはいたけれど。
パリで娼婦として生きるベラ。
様々な性欲を知る。
男に搾取されるのが当たり前の世界。
娼館の主の価値観も搾取されていた。
奪われていくもの、獲得していくもの。
ベラは自信で選択していく。
ただ、娼館の中でのベラの感情の動きはややありきたりというか、ステレオタイプな気がした。
まあ全体的に驚きはない。
ベラならそうするだろうなという。
ただ、ベラならそうするだろうと思わせている時点でベラというキャラに感情移入してしまっている。
物語の結末も、ベラ個人にとっては幸せな結末なのかもしれない。
だから観終わった後は良かったと思った。
ただ、物語のテーマ的には、搾取の構造が入れ替わっただけで、構造自体の破壊には至ってはいない。
男を侍らし、友を横につけ、使用人を使い、元夫はヤギに。
使用人は第2のベラ?に水を持ってこさせる。
この結末は、醜い人間たちは搾取を終わらせることができないということを突きつける。
一見フェミニズム映画だが、今ある常識を壊したところで、新しい常識もまたクソッたれなものなんだということを表しているように思えた。
たとえ、今ある常識に屈しずに、自由と冒険心を忘れずに、生きようと、自分を大切に生きようと、人間たちはどこまでも愚か。
ラストシーン
人間が獣以下?みたいな風に描かれているが、それはそもそも獣を下に見ている人間自体が愚かなんだよ。
そしてその世界に満足気なベラもまた愚かで心が貧しいのではと思ってしまった。
だってその一見幸せな生活は、社会や常識につくられた幸せではないの?
結局ベラもそれに囚われてしまった。
そしてこのラストシーンを観て単にハッピーエンドと思う人もまたそんな常識が刷り込まれてしまった哀れなるものたちなのだろう。
でも音楽や衣装につくられた感がありすぎる美しい風景(あえてだと思うけど)、そして演技。
それらが素晴らしいから面白いと思ってしまう。
一緒に観る人を選ぶとか言う人もいるようだけど、そう思うこと自体がつくられた価値観にがんじがらめなのではと思ってしまう。
以下偏見にまみれたもの。
ザーっと他の人のレビュー観て気持ちが悪くなったので毒出し。
この作品を観て、人間に希望を感じただとか、女性の解放を感じただとか言う人は無意識のうちに刷り込まれた常識の奴隷となっていると思う。
正直気持ちが悪い。
搾取に加担しているにも関わらず、私はしていないです、そんなものには反対ですと高らかに謳っていそう。
まあ一番気持ちが悪いのは、これを観てもまだベラに対してエマ・ストーンに対して、女性としての魅力を求めるような感想を描いている男どもだけれど。