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墓泥棒と失われた女神のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

墓泥棒と失われた女神(2023年製作の映画)
5.0
[あるエトルリア人の見た夢] 100点

人生ベスト。2023年カンヌ映画祭コンペ部門選出作品。アリーチェ・ロルヴァケル長編四作目。なんだかんだ『天空のからだ』が一番好きで、『夏をゆく人々』も『幸福なラザロ』もそこまでハマらなかったので、最早ファンと名乗っていいのか不安な数年を過ごしてきたが、ようやく胸を張ってロルヴァケルのファンだと名乗れるのが嬉しい。物語は1980年代、エトルリアの美術品を盗掘して売り捌く"トンバローリ(墓荒らし)"に巻き込まれる若い英国人放浪者アルトゥールを中心に語られる。多くを語らない物静かな彼にはエトルリア人の墓を発見するという特殊能力があるのだ。適当に掘ってもなんらかの出土品に遭遇すると言われるイタリアだが、アルトゥールは百発百中で貴重品がわんさか入っている墓の場所を当てるのだ。そんなトンバローリの盗掘風景はコミカルに綴られる。恐らくわざとらしく感じない程度に早回しも使われていて、リーダーの雰囲気も相まって「ルパン三世」みたいにも見えてくる。彼らの初登場シーンは仮装したメンバーがトラクターに乗ってゆっくり近付いてくるという実にフェリーニっぽい風景だったのも印象的。フェリーニ的な猥雑さはソレンティーノが受け継いでいるが、フェリーニ的な華やかさはロルヴァケルが受け継いでくれるのかと感慨深い。

また、アルトゥールは失踪した恋人ベニヤミーナを探しており、彼女の母親フローラと親しくしている。彼女のボロ屋敷には時々娘たち孫娘たちが大挙して押し寄せて騒ぎ立てるが、フローラは彼女たちのことを全く好いていない。そんなボロ屋敷を管理するのはイタリアという名前の女性だ。彼女はフローラに音楽を習っているようだが、フローラはイタリアの歌声に難癖をつけてタダで家事をさせようとしていて、イタリアもフローラが車椅子で自由に動けないことをいいことに二人の子供を広大な屋敷の隅に隠して育てている。ちなみに、基本的に男たちは警察か強盗団にしかおらず、フローラやイタリアのコミュニティは全員女性が構成員なので興味深い。本作品のテーマである、過去は誰のものか、に関して言えば男性コミュニティにも女性コミュニティにも所有権があり、同時にないのだ。顕著なのは廃駅を改装したイタリアが築いたコミュニティだ。フローラはイタリアに、その駅が全ての人間のものであり、誰のものでもないと答える。そこにイタリアは新たなコミュニティを築く。悪いことと良いことの線引は必要だとは思うが、本作品では所有できる過去としてエトルリア人の工芸品、記憶、土地などが登場することで、受け継ぎ可能な部分とそうでない部分を浮き彫りにしていく。

物静かな異邦人は英国人という設定だが、本当はエトルリア人なのではなかろうか。彼は"死後の世界への通り道"を探していると指摘され、エトルリア人が占いに使うという鳥が印象的に引用される。彼が墓に入る度に彼は死んでいるようでもあり、前作『幸福なラザロ』にも似た生と死の境界が曖昧になるような感覚すらある。そんな中で"過去"に属する恋人を探し続けるのは、ある種メタフォリカルな言及でもあり、また、死に場所を求めているようでもある。同胞の墓の上に立つ海岸沿いの工業地帯(ここはまさしくアントニオーニ!)への物憂げな眼差しは、3000年近くイタリアの発展を見てきた人間の目線なのではないか。例え齟齬があろうと、それを信じたくなるほど感傷的なラストには号泣した。こんな幸せな瞬間があるか。
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