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エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

3.5
[イタリア、エドガルド・モルターラ誘拐事件の一部始終] 70点

2023年カンヌ映画祭コンペ部門選出作品。マルコ・ベロッキオ長編26作目。本作品はエドガルド・モルターラ誘拐事件を描いている。かつてモルターラ家でメイドだった女性が、病気で死にそうになっていたエドガルドに勝手に洗礼したらしい。洗礼は意志さえあれば誰でも出来て、しかも取り消せない。しかも、キリスト教のスタンスとしては、ユダヤ人はイエスを生んだ民族でありながらイエスを殺した民族であるため、憎々しいが温情によって生かしてやってるという考えが強いらしく、特にローマ教皇のお膝元であるイタリアにはそういった考えが古くからあった。ユダヤ教徒にキリスト教徒を育てさせるなんて言語道断!ということのようだ。エドガルドの事件以前にも似たような事件は頻発していたが、この事件だけがスポットを浴びたのは、リソルジメントの終盤に起こったことでイタリア国外の注目を浴びたこと、そして裁判にまで発展したことなどが挙げられるだろう。そうして、エドガルドは家族から取り上げられ、キリスト教徒として教育という名の洗脳を施されていく。前作『夜のロケーション』では極左テロリスト、共産主義者、キリスト教といった異なる信条を持つ人々が根本的には同質であり分かり会えるのではないか?というモーロによる問いかけをベロッキオが証明しようとしているかのようでもあった。しかし、本作品における教皇ピウス9世は、誘拐事件によって世界への影響力を落とし続ける中で、ローマに住むユダヤ人を呼び出してマウント取ってご満悦というシーンに代表されるような誇り高き頑迷なイジメっ子然としていて、そこには相互理解どころか、そこに至れるかもしれないという可能性すら微塵も感じさせない。ある意味で前作と対になっていて、本作品ではベロッキオが頭を抱えているようにも見えてくる。ただ、本作品はエドガルド本人、エドガルドを取り戻すために戦う家族、そして教皇と視点人物が多すぎて散漫な印象を受ける。これやるなら、それこそ6話のドラマにすべきだったのは?
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