浄土

パスト ライブス/再会の浄土のレビュー・感想・評価

パスト ライブス/再会(2023年製作の映画)
4.5
司馬遼太郎の『アメリカ素描』で文化と文明の違いを論じる章がある。「文化とは不条理で、特定の集団にのみ通用する特殊なものであり、普遍的ではないもの」と定義していて、文明とは逆に合理的・機能的・普遍的なのだ、と。そしてアメリカという国はその原初から文明によって立脚し、成り立っている国家だとも言っている。

ヒロインのノラ(本名ナヨン)は12歳のとき韓国からカナダに移住して、現在はアメリカ人の夫・アーサーとNYに住む36歳。もうひとりの主人公、24年前の初恋の相手である同い年のヘソンはずっと韓国で暮らしている。アーサーに「彼はどんな人なの?」と聞かれると、ノラ曰く「男性的な、いかにも韓国人らしい韓国人男性」だという。実際ヘソンは12年前からメンツの変わらない男友達と定期的に飲み交わし、現在のパートナーとの結婚にも「自分は普通すぎる」という理由で二の足を踏む、男としての責務みたいなものを常に考えている家父長的なタイプに見える。つまりヘソンは韓国の「文化」の権化なのだ。

反してノラはいかにもアメリカらしい「文明」の権化だ。物心ついたときから英名を名乗り、もはや韓国語は母と会話するときにしか使用せず、リベラルなユダヤ系アメリカ人の夫を持ち、グリーンカードも取得した非常に文明的(=アメリカ的)な女性―しかし彼女は彼女で幼少期に「不条理で、特殊で、普遍的ではない」自身の文化を経験しているわけで、水よりも濃い自文化の血脈には抗えないことが"ノラ自身の自覚として"徐々に現れてくる(そこに敏感に反応してしまうも理解を示すアーサーの人間性のよくできたこと!)。そして本作では東洋思想由来のキーワードが頻出するのだが、これこそがノラとヘソンを繋ぐ重要な文化的コンテクストであることは言うまでもない。

いわゆる男性性からの解放が叫ばれる昨今、前述したヘソンのような「男らしさ」もトキシック・マスキュリニティと見做されることが多分にあると思う。しかし本作はそこを決して断定的に斬り捨てず、当然ながら誰彼に優劣をつけるものでもない。文化の現在を生きる者、文化を過去に置いてきた者、そしてその文化の外にいる者。三者三様の価値観の相違はさておき、かつて12歳のノラが「ヘソンのどこが好き?」と問われたときの回答が「男らしいところ」だったのは、本作を見る上で常に念頭に置いておきたい。この微妙な均衡は自身も韓国からカナダへ移住してきたセリーヌ・ソン監督にしか出し得ない滋味であり、ここまで美しくアウトプットできているのは見事としか言いようがない。
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