KnightsofOdessa

クイーン・オブ・ダイヤモンドのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

5.0
書いたのだいぶ前なので今と形式が違いますがお許しください。

[アンチ・ラスベガス映画、それは馬のいない西部劇] 100点

人生ベスト。あまりにも素晴らしい。いきなり回転するダイヤのクイーン(トランプのカード)から始まる本作品は、70年代の欧州でシャンタル・アケルマンが『ジャンヌ・ディエルマン』によってなし得たことを、90年代になってアメリカでメンケスが完成させた、とまで言われるニナ・メンケスの代表作である。1983年の中編『The Great Sadness of Zohara』以降の四部作の第三編に相当する本作品は、これまでと同様にメンケス自身が脚本や撮影監督、プロデューサーを務めている。そして主演は監督ニナの妹ティンカであり、彼女もまた初期四部作には全て登場している。

本作品で主人公であるティンカ・メンケスが演じるのはラスヴェガスのブラックジャック・ディーラー。夜のシフトで働きながら、昼間は寝たり、場違いなほど美しい砂漠のオアシスを訪れたり、近所に暮らす寝たきり老人となった叔父を暇な時に介護したりしながら気怠い日常を空費し続ける。フィルダウス(Firdaus)という彼女の名は、アラビア語で"楽園"を意味するのだが、人間同士の関わり合いが極端に薄い本作品において、どこにも"楽園"などないように思えてくる。

最初の数カットから吸い込まれるような時間感覚を共有する。白い枕の上に投げ出された指に付いた真っ赤なアクリルネイル、周りは明るくなっているのに布団を頭まですっぽり被っているのだが、ばさばさの髪が少しだけ覗いている。続くカットではシフト中だが誰も机に来ないため、暇そうに一点を見つめている。その次のカットでは、早朝の人気のない町並みの中で、カジノの入り口らしきダイスの看板だけが虚しく回り続けている。たった2分で彼女の一日は終わってしまい、この後の展開を全て暗示させている。つまり、緩くリニアに語られる(ように見える)ために、物語という骨格は持っているように見せながら、原因と結果が全く与えられず、過程だけが永遠に引き伸ばされていくのだ。そもそもリニアであるかすら分からない中に、下らない人生の退屈さと無意味さが凝縮されている。

スロットの音がこだまする中、誰も机に座らない日もあれば、客足が途絶えない日もある。無言で黙々とカードを出しては捨て、チップが出されては回収し、金をテーブルに仕舞い込むというある種完成された動作を反復し続け、単純作業ではない動作を単純化することで、その退屈さを増幅させていく。ラスベガスを舞台にする映画には必ず登場するカジノに対して、欲望やそれに伴う幸/不幸な感情を一切登場させないことでカジノ映画というジャンルを解体しながら、その空間を監獄や地獄として再構築してしまったのだ。そして、ロングショットが基本だったそれまでの日常風景とは対照的に、短いカットやアップショットが多用され、色の抜け落ちた砂漠地域に比べてギラギラの光で飾られることで、反復以外の部分でもイメージを補強していく。

夜の道端でレースのドレスを夜風にはためかせながら、ヒッチハイクで消えていくフィルダウスに、ケリー・ライカート『リバー・オブ・グラス』のロージーが見えてしまった。あまりにも華麗な退場は、これまでの時間を全てそのものとして包み込んだまま、空転を続けるのである。軽やかで素晴らしい幕切れ。

『サタンタンゴ』の4Kレストアをしたアルベロス社が本作品をリマスターしている(から古い方のDVDを押し付けられた)らしく、その出来の凄まじさは予告編からですら滲み出ている。アルベロス社の繁栄を願って、『サタンタンゴ』と一緒にポスターを買ってしまった。次はハンガリー映画『Son of the White Mare』のリマスター上映を企画しているらしい。
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