風と、土。
それはたぶん、ずっと昔から人間の基礎だった筈で。
風の吹くまま気の向くまま。
あとは、土に還るばかり。
退屈だ。
驚くほどに、火が立たない。
軽い火花はあっても、憤怒とか、激昂とか、まるでハナから知らぬ存ぜぬといったご様子。
「夜は私たちの味方だ」という台詞の背後に、業火の如く燃え盛っている情念は、およそ前提のように湛えられている。
こんなものを囲って愛でなければならないほど、それほどまでに追い詰められている、ということでしょうか。
苦し紛れに編み出した幻燈でしょうか。
ーー籠の中の鳥だ。
Netflixを思え。
膨大なーー劇中の内容からすれば殆ど場違いなまでに夥しいスタッフロールを思え。
文明の火の猛々しさといったらない。
これは確かに、FAREを切望する私たちが参与している巨大に膨れ上がった社会に求められている夢の一形態に過ぎないのだ。
しかし、それで、何が悪いというのか。
何も、何も悪くない。
資本主義システムを作り上げたのが人間なら、剰余資産でもって映画という夢を稼働させているのも他ならぬ人間なのだから。
ただ、少なからぬ懸念は、この映画が指し示している方角と、映画というメディアの構造とは、果たして相即するのだろうか?
ーーキツイなあ。
生きるというのは、キツイよ。
「どこにいたって孤独を忘れずに生きていける」ってさ。
絶対に誤解して欲しくない。
孤独は、キツイよ。
幸せが、怖いの。
なんでだろうね。
何も持たずにいれば、失うことはない…でも失うのが怖いから、っていうのだと、ちょっぴり違うような。
根本的な、安心感。
いっそ宗教的とでも呼びたいような。
絶対に失えない、手放せないものとしての、承認。肯定。
いや、うん、そうだな、宗教。
宗教がないんだ。
だから、最強に不安なんだ。
相対化して、比較計量して、神さまも自分も信じられなくなっちゃった。
そんな人間が寄り集まって、こういう映画を愛でている。
ーーどうにも嫌味たらしくていけない。笑
でも、いじらしいじゃないか。
沈んだら浮かんでくるのが水としての人間の性なら、火を起こさずにいられなかったのもまた人間の一側面だから。