パングロス

蟻の王のパングロスのレビュー・感想・評価

蟻の王(2022年製作の映画)
4.5
◎蟻が運んだプラトン愛を破壊する母性と国家権力

いずれも実話に基づく、同性愛者への国家権力を含む社会からの抑圧を扱ったヨーロッパ映画が、2023年11月から翌年2月にかけて公開された。

2023.11.10公開『蟻の王』
 (イタリア、本レビュー)、
2023.11.23公開『シチリア・サマー』
 (イタリア、2024.1.29レビュー投稿)、
2024. 2. 9公開『Firebird ファイアバード』
 (エストニア/英、2024.2.11レビュー投稿)
の3作である。製作年も前2作が2022年、『Firebird 』が2021年と近接している。

LGBTQ+を映像劇で扱うことは流行期を最早過ぎ、常態と化しているが、ほとんど主題を同じくする3作が3か月のうちに公開されたことは、さすがにシンクロニシティを感じさせる。
【以下ネタバレ注意⚠️】





3作とも、扱った事件、ないしは映画そのものが、それぞれの国におけるLGBTQ+の権利伸長に何らかの形で寄与したという共通点がある。
そういう意味での「現在性」が、こうした共時性の背景にあると言えるのかも知れない。

「同性愛者の行く道は二つに一つだ。
 治療するか、自殺するかだ」

映画を自分の意志で観始めた頃、ちょうど、ルキノ・ヴィスコンティ(1906-1976)、フェデリコ・フェリーニ(1920-1993)、ピエル・パオロ・パゾリーニ(1922-1975)らイタリアの名匠たちの晩年期に遭い、もっぱら池袋の文芸坐で彼らの作品が見せる新たな世界との出会いに胸躍らせたものである。

このうちヴィスコンティとパゾリーニは、当時から同性愛者として周知され、そうではないフェリーニ(『サテリコン』)含めて、同性愛を扱った作品を堂々と発表していた。

だから、てっきりイタリアは、同性愛に関して寛容な国だとばかり思い込んでいた。

ところが、今回公開された『蟻の王』は1964年のローマでの、『シチリア‥』は1980年のシチリア島ジャッレでの、それぞれ同性愛者に対して行われた陰惨極まりない抑圧を描き、正直衝撃を受けた。

『シチリア‥』が16歳と17歳の少年同士(実話は25歳と15歳だったが作劇上、複雑化を避けたと考えられる)の恋愛であったのに対して、『蟻の王』は42歳と23歳の成人同士のそれであった。

愛する二人の一方は、詩人・劇作家・演出家にして蟻の生態学者でもあったアルド・ブライバンティ(1922-2014)。
もう一方は、故郷のイタリア北部ピアチェンツァでブライバンティが主宰していた芸術サークルに参加したことから彼に心酔し、数年後、ローマに出た彼の助手をつとめていたエットレ(あくまで作中の設定)。

二人が暮らすローマの部屋に、ある日、エットレの母親と兄(エットレと同じくブライバンティのサークルに参加していた)が突然訪れ、エットレは同性愛を治療する矯正施設に入れられてしまう。

この施設はキリスト教(カトリック)関係者によって運営されていたらしい。
対象者の身体を拘束具で動けないようにした上で、頭部に電気ショックを繰り返し加える「矯正治療」のシーンは目を背けたくなるほど陰惨だ。
日本公開においては、本編開始前に、
「本作の劇中に、矯正治療のシーンがあります。ショックを受けられる方があるかも知れませんので、あらかじめお知らせします」
という趣旨のテロップが映し出された。

YouTube チャンネル「シネマサロン」で、日本での配給元が、実際にこうしたシーンがトラウマになる方がいることを配慮して入れたと解説されている(文末リンク参照)。

同チャンネルでナビゲーターの酒匂暢彦さんが「怖かったぁ」と心の底から絞り出すようにつぶやかれているのを聴いて、改めてこの衝撃的なシーンが眼前に甦り、涙がにじむのを抑えることが出来なかった。
(この回のシネマサロンは、本当に神回だと思います。視聴をお薦めします。)

エットレの母親は、治療にあたって彼に通常と変わらない環境を与えるように依頼するものの、本人の意志を完全に無視して、息子の同性愛を治療=否定するために矯正を強制するのだから恐ろしい。

ムッソリーニが
「我が国に同性愛者はいない ゆえに法律もない」
と言ったためイタリアには同性愛そのものを断罪する法律はなかったのに、ブライバンティは、若者を悪の道へそそのかしたという教唆罪に問われ、逮捕される。

このブライバンティ事件では、現実に、パゾリーニやウンベルト・エーコら著名な文化人らが無罪釈放を求めて活動したが、その成果はならず、彼は長く収監されることになる。

本作は、母親の葬儀に列席するため監獄を一時外出することを許されたブライバンティが、故郷ピアチェンツァでエットレと再会するシーンでラストを迎える。

エットレは、裁判で証言を求められた時も、度重なる電気ショック療法のため、半ば廃人同様の変わり果てた姿で現れながら、ブライバンティからの強制など一切なく、関係は憧れと尊敬によって始まり、ともに美しい時を過ごしたと幸福に満ちた表情を浮かべて述べるのだった。

ラストシーンでエットレは、ヴェルディのオペラ『アイーダ』のパントマイム演技(オペラのレコードを流して役者が無言で演技する)が行われている野外ステージ近くの草原で、舞台用の背景画を描いている。
タクシーでこの草原まで来たブライバンティとエットレが無言で固く抱きしめ合う。舞台からアイーダとラダメスの悲恋の二重唱が聴こえて来るなかで。

そして、エンドロールに入る前、テロップで「このあと二人は再び会うことはなかった」ことが伝えられる。

『シチリア‥』のラストは、銃声による二人の死の示唆によって観る者に茫然自失の衝撃を与える「ロメオとジュリエット」型のバッドエンドだった。

それに対して、本作は、二人が結ばれることはなかったにせよ、また、エットレは矯正治療によって心身を痛めつけられ、ブライバンティは懲役を余儀なくされたとは言え、ともに生き続け、(ブライバンティは実際に90歳を超えて)天寿をまっとうできた。

自らもゲイであることを明らかにしている78歳のジャンニ・アメリオ監督は、これを、ある種のハッピーエンドとして描いたのだと思う。
ただし、この作品が公開されたことを含めて、二人のあとに続く者たちが少しでも前進することを前提として。

本作は、近年のLGBT物としては、直接的な性的なシーンは少ない。
(それでも、ローマの一室に、エットレの母と兄が踏み込んできたとき二人は裸で同衾していた。また、ブライバンティが、性欲を満たすため、エットレの悪友に金銭を払い森の中で事に及ぼうとするシーンもある。金を受け取った若者による侮辱的な言葉に嫌気がさして未遂に終わるが。この逸話はブライバンティが決して聖人君子ではなかったことを明示するため、あえて入れたのだろう。)

ブライバンティとエットレの愛の交歓は、もっぱら詩のやりとりによって行われる。

一部に、例えば、クーパー監督・主演の『マエストロ』(2023.12.8公開、12.24小生レビュー初投稿)で描かれたレナード・バーンスタイン(LB)と若い音楽家たちとのラブ・アフェアについて、ジャニー喜多川の例を持ち出して、否定的に評する向きがある。
しかし、(LBの場合は妻帯者であるため不倫の事実は問われるかも知れないが彼のポリアモリー※を妻が認めていた可能性もある)成人同士の合意によるものならば、むしろ罪を問おうとすること自体が冤罪を着せることを意味する。
本作におけるブライバンティへの教唆罪の適用こそが、まさにそのことを如実に示している。
(※ 広がり始めたポリアモリー(複数愛)という生き方、日本でもメジャーになるか 荻上キチ氏に聞く 長野光 2024.1.24
jbpress.ismedia.jp/articles/-/79052# )

センシティブかつ極めて個人的な営みである性愛のあり方について、その是非を問おうとする場合、(言葉が汚くて申し訳ないが)味噌もクソも一緒にするような形で、無実の善人に濡れ衣を着せるような言動や評価の仕方は厳に慎まなければならないのだ。
また、そうした際、人はえてして「それでも自分は許せない」と言うが、その価値観を人に押し付けることは他者に対する抑圧、強要に他ならないことを肝に銘ずるべきだ。

ブライバンティとエットレの愛‥‥
年長者から年少者への同性愛、それも、芸術を介して互いにリスペクトし合ってのそれだとすれば、まさしく「プラトニック・ラブ」本来の形ではなかったか。

詩を介しての愛の交歓、
オペラ『アイーダ』の引用、
エットレの母親や兄の人物造形、
矯正施設の神父(?)や裁判官の描写、
ブライバンティの芸術サークル「塔」のあり方、
ブライバンティを支援する共産党機関誌記者エンニオやその従姉妹の活動家グラツィエラの存在
など、本作は、実に重層的で高密度な読み解きを可能にする芸術性の高い作品となっている。

鑑賞から3日後、レビューをどう書こうか、少し考えあぐねていたため、参考にしようと思いながら、YouTube チャンネル「シネマサロン」を視聴した。
上にも記したが、ナビゲーターの酒匂さんが「怖かったぁ」と嘆息し、相方の竹内さんとともに二人への仕打ちが如何に非道かを語り合い、本作が如何にウェルメイドではない含蓄に富んだ作品か賞賛されるのを聴きながら、あふれた涙をとどめることが出来なかった。

観た直後よりも、あとから反芻すればするほど、作品世界の深さ、美しさ、はかなさ、訴える事の切実さ、尊さ、が身に染みて来る。

本作は、そうした種類の名作である。

○パンフレットは土肥秀行東大准教授の「「蟻の王」ブライバンティとパゾリーニ」などが掲載され、参考になる。

本作のスコアは、4.5

冒頭にあげた類似3作のランキングとしては、

 蟻の王 > シチリアサマー > Firebird
  (4.5)      (4.3)   (3.3)

となる。

また、同時期公開の
 岸善幸監督『正欲』
 (2023.11.10公開、2024.2.29レビュー投稿)
は、やや位相が異なるが、スコアは、2.5 とした。

《参考》
【蟻の王】ショットが素晴らしい!
シネマサロン 映画業界ヒットの裏側  2023.11.23
m.youtube.com/watch?v=quacrFzUrrQ&pp=ygUY6J-744Gu546L44CA44Os44OT44Ol44O8

映画「蟻の王」を観ての私的考察
vincent-tenihore 2024.1.3
note.com/vintenihore/n/n67e67088be02

《参考になるレビュー追加 2024.3.24》
Commentarius Saevus 2023-11-09
イタリアの同性愛差別事件を扱った歴史もの~『蟻の王』(試写、ネタバレあり)
saebou.hatenablog.com/entry/2023/11/09/000000
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