パングロス

バジーノイズのパングロスのレビュー・感想・評価

バジーノイズ(2023年製作の映画)
3.8
◎音楽で語ることのできた奇跡の青春ドラマ

本作に最も近い作品をあげるなら、ジェーン・カンピオン監督の『ピアノ・レッスン』(1993年)ではないかと思う。
発話障がいの主人公エイダが言葉の代わりにピアノで感情を伝えるという設定だからだ。

主人公清澄(川西拓実)は、自分の住むアパートの管理人で生計を立て、出勤時と退勤時の電話連絡をするぐらいで、ほとんど会話らしい会話をしない日々を送っている。

だが、彼の内面も無感情だという訳ではない。
自分の奥深くから自然と湧き上がる何物かは、やがて音楽という形となって彼を物語る雄弁な語り手となって現れるのだ。

【以下ネタバレ注意⚠️】





誰かに聴かせようとは思っていないと彼は言う。
確かに、それも「自足」の一つの形ではあったろう。
清澄本人が言うように、DTMが普及した現在、音楽はたった一人でも作れるのだから。

だが、それは彼自身が他者に対して「開いて」いなかったことの反映ではなかったか。

一人「自足」して自分の音楽に埋没していた清澄の扉を開いたのは、アパートの階上に住む潮(桜田ひより)。彼女は自分が気になっていた音楽の発信源が分かると、その部屋のガラス戸をガチャンと打ち破って、清澄の近くに侵入してきたのだ。

舞台は横浜、湘南あたりにも関わらず、清澄も潮も関西弁、より具体的には神戸弁だというのも良かった。
*川西拓実は兵庫県高砂市の出身だが、桜田ひよりは千葉県の出身だそうだ。かなり訓練したのか、自然な関西弁だった。

関西弁は、多弁なイメージが強いが、本質的には感情の表出がストレートだという側面もある。
潮は、自分の思いを何のてらいもなくストレートに口にするタイプの関西弁話者だ。
それに対して、清澄は、寡黙だが、言葉少なに口にする内容には、やはり少しも嘘がない。

とにかく、この自分にも、他人にも一点の嘘を交えずに、訥々とした神戸弁で話す清澄の人物造型が素晴らしかった。
寡黙だからこそ、言葉に嘘がないからこそ、本当の音楽が紡ぎ出せる。
この当たり前のようでいて、実際の生きた人物として具体化するのは至難の業であるはずの清澄という人格を、川西拓実がまるで、その本人としか思えない形で観せてくれたことは驚異と言っていい。奇跡と言っていい。

音を、音楽そのものを映像作品で表すことは簡単ではない。
しかし、その簡単ではない作業を、監督・脚本の風間太樹はじめ、音楽プロデュース・音楽監修の菊池智敦、劇伴作曲の坂本秀一、録音の石貝洋ら関係スタッフが細心の注意を払って取り組んだことがパンフレットからも窺える。

手だれの音楽プロデューサー沖(テイ龍進)というメフィストにたらし込まれて、スタジオの囚われ人となった清澄を、潮、陸(柳俊太郎)、航太郎(井之脇海)の3人の友人たちが救出するエピソードも感動的だ。

ただ、ラストのライブシーンで歌う川西拓実の歌唱が残念ながら力不足だった。
別段、彼らが大スターになったという結末ではないので、これでも良かったのかもしれないが、それまで感動的だった物語を締めくくるには、彼の歌唱力が追いついていなかったのは、やはり残念ではあった。
*コメントで、inotomoさんから、JO1での本来の川西拓実氏の歌唱は全く違い、本作での歌唱自体役作りの結果であるとご教示いただきました。詳しくはコメント欄をご覧ください。
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