炭酸煎餅

ぼくらのよあけの炭酸煎餅のレビュー・感想・評価

ぼくらのよあけ(2022年製作の映画)
1.9
まず前提として、私は原作が激推しで漫画史に残る名作だと思っている人間なので認知が相当歪んでいる可能性があるんですが……(と前置きしておいて)

おそらくは尺の問題で描写を絞りたかったんだろうとは思うんですが、何か原作を要素単位でそれぞれ削って無理に小さくした感があって、どうも物語自体が全体的に語り不足になってるんじゃないかなという印象を受けました。

特に原作では中盤、親世代の3人も物語に参戦して子供世代の主人公達と共同で作戦を実行する構成になっているんですが、本作ではそこの所が過去の出来事を最低限描写する程度にとどまっていて、親世代3人が結局この物語に関与してるような、してないようなという微妙な立ち位置になっていたのがなんとも中途半端な印象を受けました。
(私の個人的な認識なんですが、原作「ぼくらのよあけ」というのは親世代・子供世代という2クラスタの主人公たちの物語なんじゃないかなと思うんですよね。メインストーリーにおいては悠真たち子供世代は実際主人公ではあるんですが、同時にこの物語には「自分たちの物語ではトゥルーエンドを迎えることが出来なかった」、親世代の3人という「"前作"の主人公たち」の物語が内包されていて、悠真たちという「"続編"の主人公たち」と彼らが力を合わせることで「ぼくらのよあけ」という2世代に渡る物語全体のトゥルーエンドが発生する、という構成になっていると解釈できるわけです)

その他、SF感を演出する技術的な理屈の説明や、AI物定番の哲学的な対話がセンテンス単位でごそっと減らされていたり、
わこと花香をとりまく"グループ"周りの描写(場所が小学校で「桐島、部活やめるってよ」よりもはるかに子供なのでもっと悪意剥き出しでもっと残酷)が大幅にカットされてたり、
どうも描写を「煮込んで抽出」するのではなく「削って落とす」方向での圧縮がされており、結果一つ一つの要素がなんだか小さく小ぢんまりしたものになっていたように思われました。

あと所々、原作とシーンの前後を入れ替えられてる所も変えた意味がよく分からなかったんですよね……。
特にナナコがJAXAの資料を広げる(原作だとあそこは「処理能力の高いオートボットには一般向けではない生の資料や学者や研究家の議論もそのまま公開されている」という描写があって、悠真が心をつかまれる理由付けがより強くなっています)所は、あそこを後回しにしちゃったら悠真が危険を犯して屋根に上る動機付けが弱くなっちゃうんじゃないかと思うんですが……
(変える意味が分からないといえばナナコ含めたキャラクターデザインもなんですが、まあそこはそんなに強く掘りかえす所でも無いかなと思うので置いておきます。ただ虹の根や二月の黎明号に明確なビジュアルを設定してしまったのは要らんかったんちゃうかな~~という感はあり)

今回、私は直前に原作を読み返してから行ってしまったのでそんな感じであれこれ気になる所が目についてしまったんですが、逆に原作未読の人からの視点だとどう見えるのかというのは聞いてみたい気がします。

なお、もし原作未読で映画を観て、上記したような所がよく分からなかったり、物足りないと感じた方がいらっしゃれば是非原作を読んでいただければと思います。多分そのへん全部描いてありますので……
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