レインウォッチャー

ベター・コール・ソウル シーズン6のレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

4.5
すべてがあるべきところに収束するラストシーズン。『ブレイキング・バッド』まで含めた集大成として、あまりの正しさになんだか納得しすぎて最早書くことが見つからない。

『タイムマシン』。

きっと誰もが一度は空想したことのあるこの話題、そして多くの場合、その使い道としては未来を見に行くよりも「過去に戻る」ことを選ぶのではないだろうか。
《後悔》とは人間にまとわりつく最も強い感情の一つだ。それは、行ってきた(あるいは行わなかった)判断と行動の積み重ねが現在の自分を形成していると知っているからであり、自分を変えるには過去を変えること、と発想しがちだからに他ならない。

この話題に関して、「未来の老いた自分がタイムマシンを使って、《今日》に戻ってきたんだと考えよう!」みたいな思考実験のクリシェを聞いたこともあるだろう。さあ、今日から前向きに希望をもって生きていけるよね!というわけである。

だが、やはり人間はそう簡単には納得できない。後悔は毎秒のように生まれ続けるし、取り返しのつかないことは確かに存在するからだ。仮定(もしも)の想像よりも、経験で知っている過去に引っ張られる。

そこにこの物語は、新しく誠実な答えを見せてくれる。
間違い続けてきた男ソウル・グッドマンが、初めて自らの才能を、手前の打算や保身のためではなく「あるべきこと」のために使う選択をする。

『ブレイキング・バッド』後の時間軸において逃亡中の彼の日々はずっと色を失った死の世界(モノクロ)として描かれていて、また過去をチャラにしリセットすることで、彼の勝負スーツのようなカラフルに返り咲けると信じていた。
しかし、違った。ただひとつの答えは、彼が《ジミー・マッギル》を受け容れることだった。ほんの微かに灯るひとつだけの「色」が、可能性を示す。

それは、ウォルター=ハイゼンベルクにはできなかった勇気ある選択でもある。シリーズ全体を包括する視点で見たとき、ジミー=ソウルは、タイムマシンで戻ってきたウォルターだったのかもしれない。

人には、後悔ではなく選択によって作る《未来》こそが必要。そう心で理解する。わたしたちは誰もが、いま未来行きのタイムマシンに乗っている渦中なのだ。