ホン・サンス『小説家の映画』をシネ・ピピアで。モノクロからカラーへと変わるというありがちな展開もホン・サンスにかかればゴダール的色調(コンピューターでイジリまくった変にパキっとしたオレンジがかったアレ>>続きを読む
『マリの話』を観た勢いそのまま『二十代の夏』もあわせてAmazon Prime Videoで。
爆笑が続いた。終盤の「お客さん笑ってたもんなあ」がかなりメタで、やられた気がした。とんでもない映画、そ>>続きを読む
高野徹『マリの話』を出町座で観た。詩の装置としての使い方や構成、映画自体がホン・サンスっぽいというだけでなくてピエール瀧のクォン・へヒョ味よ!第四章の「マリの映画」パート、男が萩原朔太郎「愛憐」を暗誦>>続きを読む
『ドッグマン』観た。誰でも知っている曲(「So What」とか!)が流れて、ドッグマンの誰も知らなかった物語が精神科医との対話によって明らかになる構造に、シェイクスピア劇が加わって「生きるべきか死ぬべ>>続きを読む
今年も妻と5歳の娘とドラえもんの映画に行ってきたけれど、去年のザルドス的SF(のび太がショーン・コネリー)とノーラン風味のカフカドラえもん救出劇(冒頭の虫がドラえもんだったなんて!残酷な…)に比べたら>>続きを読む
『ジャン=リュック・ゴダール/遺言 奇妙な戦争』について考えだしてうんざりする。まず、スラッシュの位置が変だし『遺言/奇妙な戦争』ですら良くない。ゴダールと遺言のあいだにスラッシュを入れるなら「can>>続きを読む
エンディングで「夢中人」が流れて最悪だった。笑 勘弁してくれ。この曲を流すのにも大いなる責任が伴うはずで、どの文脈があればこんなことができるんだ…と思う。エゼキエル・シムズの無駄遣いもキツいし…トーテ>>続きを読む
吉増剛造の武器「The Poet’s Golden Hammer」彼が常に持ち歩いているハンマー、その原体験である、石を割ったら出てきたウニが空気に触れて一瞬で風化したというこれぞポエジー、彼のポエジ>>続きを読む
20240217
元町映画館にて舞台挨拶付きを。
最近のバラエティやニュース番組での東出昌大の出演はほぼ観たが、ゴシップ的な扱いや芸人のふざけた態度にうんざりした。『WILL』は確実に違うだろうと信>>続きを読む
アリ・アスター『ボーはおそれている』より家に帰ってすぐ観た瀬々敬久監督『アナーキー・イン・じゃぱんすけ』のほうが面白かった!冒頭で提示される結末とは違う展開を迎える監督のアナーキーさ(は『菊とギロチン>>続きを読む
単純につまらないし、過剰にズラされることでシラケる。というより、何もかもが過剰。カフカ的なこと、フロイト的なこと、それらがやりたいにしても、彼らが別に過剰にやれと書いているわけではなく、その過剰さがア>>続きを読む
冒頭の撮影クルー紹介、その部分の語りだけが俺を惹きつけ、あとはなぞるような素振りをしてみせるだけだった。
このアントナン・アルトーの立ち振舞いなり様相を俺は覚えるべきだと思う。詩人として、だけではなく、スクリーンに映しだされる詩人として。
ひとりの作家を追うドキュメンタリーから劇的に変わる瞬間、作家性を失い、市井の人が現れた時の陳腐な喋り(CM撮影が行われている)には、もう引き返せないどうにもならなさがあり、その諦観が徐々に本当のことへ>>続きを読む
正直、メイキングのほうがよかった。動く福間健二、福間組にいる福間健二、ジャージにリュックを背負い演出する彼を観られるのは本当に貴重で、それはYouTubeなどにあがっている世界各国の映画における特典映>>続きを読む
シネ・ヌーヴォで『王国(あるいはその家について)』観た。リハーサル、まだ何度でもやり直せると思いながら反復することによる、身体の変容、というより、戻したり調整もあるから可変であり移動なのだけれど、ただ>>続きを読む
結末に触れてしまうから詳しくは書かないけど、この瞬間に誰を、何を映すかの選択が完璧過ぎるし、その通史的ともいえるクローズアップには過去が映りまくっていて、ちょっと怖く言うと見える、みたいな感じ。それは>>続きを読む
カール・テオドア・ドライヤー セレクション vol.2で『奇跡』を観た。詩人で劇作家のカイ・ムンクによる原作の劇構成を忠実に再現しようとしているのなら、その詩性はどこにあるのかと長回しによって生じる余>>続きを読む
シネリーブル梅田「カール・テオドア・ドライヤー セレクション vol.2」で『ゲアトルーズ』を観た。詩人が登場するから観に行こうかなとそこまで期待していなかったが良すぎた。自分のところへ戻らないゲアト>>続きを読む
アップリンク京都、カール・テオドア・ドライヤー セレクション vol.2で観た。主役の青年アラン・グレイを演じるジュリアン・ウェストは貴族でこの映画に出資もしているらしいが眸の役割で、老人たちが静かに>>続きを読む
TOHO 梅田で観た。ファスビンダー的なふたりに出会う事で主人公のイノセントさが失われるのかと思いきやさらに増幅してマーク・ラファロがバグるところが本当に面白い。カウンターで頭を打つ音がDolbyだと>>続きを読む
シネ・ヌーヴォで観た。いつか娘たちに観せたい。監督が詩人で…とか、ここはゴダールで…とか言いながら、生きていると起こることと起こらないことの狭間に在り続けること、詩。分かってくれたらいいな。観終わった>>続きを読む
「こんな夢を見た。大喜利」を10本ほど観ているような、それでいて統一感が意外とあるという偶然性には驚かされるが(一番驚くのは清水崇…まじでやめてくれ!笑)、ネタ被り、メタとかでもなくただ登場人物として>>続きを読む
チャンス・ザ・ラッパーのMV監督なだけあって、幽霊との共存というメイン設定のプラスアルファである狼男でのチャンスの起用は素晴らし過ぎる。それに応えるかたちでチャンスも好演。B級ホラー要素がありつつ、そ>>続きを読む
カメラワークの凝り方が正統な変態で、いろいろと気になり久々にメイキングを観た。水中での髪の毛のVFX処理がとんでもない労力だと知り、気が遠くなったが、ジェイソン・モモアの家族を想う姿があまりに美しく引>>続きを読む
主人公の弟とであり前作の敵と共に、さらに強くなった前作の敵と戦うという、少年漫画でもあまりみないほどぶち上がる展開でありながら、弟がデレることによって萌え要素まであり、あらゆる層を取り込む求心力のある>>続きを読む
『花腐し』の元ネタだからと楽しみにしていたが、あまりに古くさくて(未来だけが新しいのだとしても!)、キム・ミニの姿を求めてしまい、最後まで観られなかった。
紛失したフィルムの副産物といえる監督の語り、そして彼はガラス越しに登場する。キラー・オブ・フラワームーンにおけるスコセッシよりも格好良いがそこには言い訳のような後ろめたさがあり、なんとも言えない気まず>>続きを読む
監督は詩人で写真家。台詞は詩情を排して、あくまでも映像が詩的であること、表情よりもひたすら手を映すことによって、ひとりの女性の人生(その時系列は切り刻まれてバラバラに配置されている)を、詩集のようにど>>続きを読む
ポール・メスカル、『アナザー・サン』では父と娘、『もっと遠くへ行こう。』では妻と夫、『ゴッズ・クリーチャー』では母と息子、家族における関係性の揺らぎを凄まじい芝居でみせていて、もうこわいとしか言いよう>>続きを読む
どんでん返しの部分がポール・メスカルの芝居に依拠されているために、引き込まれてどうしようもない。ありがちな結末、どこかで見たことあるものが、これやっぱり見たことない(新しくはない)に変わる芝居。そして>>続きを読む
詩を放ちながらするエキセントリックな台詞回しと野蛮な行為。俺がもし好き勝手に映画を撮っていいと撮影にまつわるすべてと大金が用意されたなら、こんな映画をつくりたい。暴力は控えめにしてポエジーを増す、ああ>>続きを読む
20231229
昨日『ファースト・カウ』をシネリーブル梅田で観たのが今年最後の映画館。帰りにドーナツ買って帰って、壁に寄りかかって食べて、このままずっとこうしていても白骨化はしないだろうなあと思っ>>続きを読む
ビー・ガンの詩の朗読は寓話的な語り。黒猫が彷徨い3人の奇人と出会う姿を見ていると「私自身の宇宙が、意識のバランスを失って崩壊」(萩原朔太郎『猫町』)してしまいそうになるもエスカレーターの強烈なショット>>続きを読む
「(ジャガイモが転がる)夜戦と熱風」ファスビンダー『マリア・ブラウンの結婚』エイガシVol.2⑦
煙草を渡して。ブローチを得てから。未体験のこと、未来への没入。待ち人であるからには時間の流れは早いほ>>続きを読む