素潜り旬さんの映画レビュー・感想・評価 - 30ページ目

グラン・トリノ(2008年製作の映画)

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ヤバいジジイを見ると笑ってしまうが、ボケたジジイで笑うよりか良いと思う。老人をバカにするのではなく、老人にバカにされているようで笑ってしまう。

マイ・ブルーベリー・ナイツ(2007年製作の映画)

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「ブルーベリーパイがバニラアイスと混じりあう」様子が逆方向から唇を重ね合う男女に見えるという発見をしたウォン・カーウァイは、女性だけを中心に据えると退屈になってしまうという欠点をアメリカで晒してまでも>>続きを読む

ムーンライト(2016年製作の映画)

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『In Moonlight Black Boys Look Blue?』(月夜の下で黒人少年は青く見えるか?)ただ、観ているだけでも美しいこの映画は説明的でなければならなかったのだろうか。全てを理解し>>続きを読む

ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー(2018年製作の映画)

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ゴーストが題材の歌に惹かれるのは何故だろう。と考えても、それは愛とか友情とか、大切なゴーストだからとしか思い浮かばず、そうするとホラー映画と呼ばれるモノがあんまり好きでない理由がわかる、ということしか>>続きを読む

ボヘミアン・ラプソディ(2018年製作の映画)

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栄光と転落は余りにドラッギーで、満ちみちた生だったのか、みち満ちる性なのか考えるまでもなく観客は、フレディとは対極のヘルシーさで泣いたり喚いたりする。

会社物語 MEMORIES OF YOU(1988年製作の映画)

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クレイジーキャッツ全員集合映画を市川準が撮ったおかげで見事にバグっている。だんだんハナ肇が石原裕次郎に見えてきたというか、だんだんなっていったというか、最後は石原裕次郎だった。笑 最初から石原裕次郎だ>>続きを読む

ドラゴン危機一発(1971年製作の映画)

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色彩感覚が惜しすぎる。笑 敵キャラがカラフルで清順ばり(どっちが先とか関係なく)だなあと思いきや、ブルースリーの衣装が家具の色と被っていたりする。笑

ドラゴンへの道(1972年製作の映画)

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ブルースリーが監督しない二作は、どんだけ強いブルースリーも最後は捕まるという、監督の理由なき反抗にうんざりさせられたのか、監督を手がけた一発目は捕まると見せかけて捕まらない。ただ、そのせいでブルースリ>>続きを読む

去年マリエンバートで(1961年製作の映画)

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静止することは嘘を嘘たらしめること。時間は現在以外で停止する。もしくは現在のみが停止している。

イングロリアス・バスターズ(2009年製作の映画)

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主役はもはやラムダ役のクリストフ・ヴァルツで、この構図は『ジャンゴ』と同じ。そしてタランティーノは何度映画のための映画を描くのだろう。『ワンハリ』で頂点に達したけど。映画による歴史修正は驚くほど幸福で>>続きを読む

KIDS/キッズ(1995年製作の映画)

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10代で観たかった。ただラストだけはずっと印象に残るだろうな。あのラストワンカット。軽いタッチで本質を射抜くような。このために映画を作ったかのような。ここだけのために物語をもっていったかのような。

ザ・バニシング-消失-(1988年製作の映画)

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ひとつひとつの選択によってすべてが決まることをサイコキラーが意識するとこうなるっていう極地。笑 時系列のバラし方がうまくて、クリストファー・ノーランが参考にしたんじゃないかってくらい。あくまでも「くら>>続きを読む

レオン(1994年製作の映画)

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やっぱりそうなるよな。の連続である。この連続性がレオンとマチルダの関係性であり、生の実感に繋がっている。奇妙なこの関係は繋がり至上主義に基づき、最後まで離れることはない。いや、最後に別れは来るのだけれ>>続きを読む

緑の光線(1986年製作の映画)

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ああ、ミラベル。彼女の騒音、彼女以外の騒音に我々は翻弄される。彼女の声は常にすでに普通ではない音色をしていて、泣いたり喚いたりする。まるで赤子かヒステリーのように。そう、赤子とヒステリックになることの>>続きを読む

やさしい女(1969年製作の映画)

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『優しい女 自殺、ブランケットと男』

「女が自殺した直後、ブランケットが舞う」

あのブランケット。映画的演出のステレオタイプだとも言って良いあのブランケットはなんだったのか。

男に厚
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ヘイトフル・エイト(2015年製作の映画)

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集団心理における、野性の勘というのは外さないわけで、誰が敵で誰が味方だということは簡単にわかるのである。人はいつからかこうした勘を手に入れ、いつからその勘を使わなくなったのだろうか。そんなこと分からな>>続きを読む

ヘイル、シーザー!(2016年製作の映画)

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劇中劇が(劇中劇と分からせる演出なこともあり)大味なせいで、それが劇中劇中劇に見えてしまい、そのせいで本当の劇中劇中劇がさらに大味に見えてしまう。それが『ヘイル・シーザー』の良さであり、映画というもの>>続きを読む

シェイプ・オブ・ウォーター(2017年製作の映画)

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「半魚人と耳が聴こえない女性による可憐なミュージカル」だと俺は考える。
縦横のシーン移動によって劇的なる場面の切り替えをある場面では選択し、さらに前後のシーンの音がほとんど繋がっている。鳴っている音
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長江 愛の詩(2016年製作の映画)

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話はいたってシンプルで、主人公の男の船は長江の上流へ向かい、女性はその先々で待ち受けるも、上流へ行けば行くほど若返っている。しかし、女性は男を追っているので記憶は男性と同じ軸にある。つまり女性は長江の>>続きを読む

Guava Island(2019年製作の映画)

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解放を宣言する場合に、俺たちに必要なのは音に合わせることであり、それはミッキーマウシングでも構わない。同調するのは周りにではなく、音楽に。であり、ひとりで行うことではない。すべてを構築し島をを完成させ>>続きを読む

ディザスター・アーティスト(2017年製作の映画)

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俺たちが把握することには、限りがあり、際限なく面白さを分かち合うこと、面白さに意味を持たせることを共有すること、なんてできないのだろう。意図したところ笑わせるだなんてコメディ以外もってのほか。意図しな>>続きを読む

サウダーヂ(2011年製作の映画)

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俺たちが俺たちであること、俺たちが、個々の俺でしかないこと、そして俺たちの間には、思考に隔たりがあるように誰一人として思考が繋がっていないように、隔たりがある。この隔たりは、考えずともわかるほど、当た>>続きを読む

最高殊勲夫人(1959年製作の映画)

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最初から山場のプロポーズまで、ひたすらシンメトリーで攻めている。というのも若尾文子の可愛さや茶目っ気、コメディとベタなラブストーリーをシンメトリーで描くことによって際立てており、お陰でカメラワークは固>>続きを読む

はじまりのうた(2013年製作の映画)

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劇中ほとんどのシーンで歌が流れているため、会話というよりは表情でみせており、とても役者さんの力が溢れていた。顔面の柔らかさが凄い。
音楽のクリーンな部分がすべて描かれている気がするが、クリーンになりき
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(2017年製作の映画)

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ぶつぶつ呟く山田孝之の抑えた演技が情緒あふれるように見えるのは、会話が表情に比べて軽妙だからだろう。
同級生のふたりの関係性が徐々に明らかになっていくわりに明らかにならない部分の多さ、塩梅が詩的に感じ
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ジョーカー(2019年製作の映画)

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この映画の主役はジョーカーだけれど、どこにでもいる道化の物語である。人は皆道化であり、それは太宰治の言うところでもある。太宰はそれをひとりの人間として描いたが、トッド・フィリップスは大勢の人間として描>>続きを読む

ヨーゼフ・ボイスは挑発する(2017年製作の映画)

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人間が飯を食うときに、肉片としてでなく、動物として認識してしまう場合に、食べられなくなる、という現象があったりなかったりだが、俺の場合のうさぎがそうだった。ヨゼフ・ボイスのベストが頭によぎってしまう。>>続きを読む

J・エドガー(2011年製作の映画)

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ここぞってところで(急に。笑)出てくるアダム・ドライバーの存在感がとてつもなく、ほとんど出てこないのに大事な役割を担わされているため、信頼を監督から得ているのがわかる。彼も自身の役割を理解しているから>>続きを読む