幽斎

母の聖戦/市民の幽斎のレビュー・感想・評価

母の聖戦/市民(2021年製作の映画)
4.6
誘拐ビジネスが蔓延するメキシコで愛する娘を取り戻す為に自ら犯罪組織に立ち向う母親の壮絶な実話を基に描くソーシャル スリラー。アップリンク京都で鑑賞。

ミッドタウンで行われた東京国際映画祭は「市民」で公開。審査員特別賞。原題「La civil」スペイン語で民事、つまり市民。私もフランスの世界遺産級女優で審査員長Isabelle Huppert様に逢いたくてクロージング セレモニーに京都から馳せ参じましたよ(笑)。しかし、本作はソンな浮ついた話は一切無しのメキシコの闇を炙り出す。

年間約6万件の誘拐事件が発生する国メキシコ。プロットからして平和ボケの日本人に強烈なビンタをお見舞いする。メキシコの国際派女優Arcelia Ramírez演じるシエロは極めて平凡な主婦、身代金を支払うも娘は帰って来ない。取り戻す為に奔走する姿を「コレは実話なんだ!」Teodora Mihai監督の怒りとも言える叫びがスクリーンから聞こえた。

メキシコ映画と云えば究極の格差社会のレビュー済「ニューオーダー」。本作は「或る終焉」「ニューオーダー」Michel Franco監督。ルーマニアの「汚れなき祈り」Cristian Mungiu監督、ベルギーのレビュー済「トリとロキタ」Jean-Pierre & Luc Dardenne監督の3人がプロデューサーに名を連ね、監督の長編デビュー作品をバックアップ。

原案はメキシコの人権活動家Miriam Rodriguezの実話。娘が誘拐され殺害された後、組織犯罪の被害者層を代表する活動を続けたが、自宅前で武装集団に12発撃たれ2017年5月亡く為った。彼女の死はメキシコ政府の無能を曝け出すモノ、人権問題として隣国のアメリカを巻き込んだ騒動に発展。娘の誘拐犯は逮捕されたが刑務所から脱獄。警察や刑務所まで信用できないメキシコと言う国に思わず身震いする。

監督はドキュメンタリー出身だが、組織が潜伏する地域が余りに危険でスタッフに危害が及ぶと判断、ミリアムの資料を集めてフィクショナルに変更。秀逸なのは組織を追跡するプロットにも関わらず「劇伴」が一切流れない。アップリンク京都は「新風館」洛内のド真ん中に有るが、メキシコに居る様な孤立感に襲われた。ハリウッドの動線を煽るカメラワークも委棄、カメラは監督の視点で観客の視点。感情込めた演出をイレースする事は、一歩間違えば映画の体を成さない恐れも有る。独立心の強いフランス人Huppert様が気に入ったのも納得。

秀逸なのは監督はカメラの基本「被写界深度」巧みに操る。ピントを合わせた部分の前後が合ってる様に見える範囲、絞りと言う言葉は聞いた事有ると思うが、レンズの絞りが小さくなる程浅くなる。つまり、ピントが合ってない箇所の光の分散は小さくなる。本作は被写界深度を意図的に浅くする事で、人物の不安を観客にも容赦なく味わって貰おうとする。誘拐事件がメキシコ市民の日常茶飯事だと言う悲しい現実も投影してる。

無名の監督を抜擢した理由を「ニューオーダー」Franco監督はMihai監督のドキュメンタリー「Waiting for August」出稼ぎに行った母親の代わりに6人兄妹の面倒を見る15歳のルーマニア人少女に、本作に通じるテーマ「母性」感じたと満足そう。監督は「ライオンの雌が子供を守る為に何でもヤルだろ?、アレと同じさ」、法の支配が通用しないメキシコでは自分だけが頼り、夫は眼中になく遂に軍隊まで巻き込んで進行する。

メキシコの無限連鎖「富の二極化」。悪辣なのはアメリカと違い女性に限らず、大人の男性も容赦なく拉致、身代金を用意しても捕られ損で行方不明もザラだと聞く。日本の闇バイトと同じく、低下層は安易に誘拐ビジネスに手を染める。物語のエンジンは「海より深い母の愛」、鬼の形相で警察まで罵倒するも、母の怒りは子供への愛の証と言うレトリックは「悪事の責任は誰に有るのか?」ステルス的な格差社会の日本も他人事では無い。物価高で生活が苦しい中、高級外車がバンバン走ってる、地方の京都でさえ。

逸脱するシエロと誘拐した組織を交互に見せる事で「主人公=被害者=善、加害者=悪」二元論で割り切れない不条理を描く点が、メキシコの自警組織を描く傑作「カルテル・ランド」と同じトライバリズムを描くスリラーと論じる根拠。ミリアムは誘拐に関わる10人を突き止め逮捕へと導いてヒロインに成るが、母の日に銃撃された。誘拐犯の脅迫めいた捨て台詞も強弁とも言い難い。しかし、本作を観ずに他界したミリアムを思えば明日への扉だと思いたい、ラストシーンの彼女の微笑みを私も信じたい。最後にミリアムの残した言葉をご紹介したい。

「私は毎朝起きる度に拳銃で自殺するか、無性に人を撃ちたく為る衝動に駆られる」。

【ネタバレ】物語の核心に触れる考察へ移ります。自己責任でご覧下さい【閲覧注意!】

商社に務めるメキシコの内情に詳しい友人に依れば、実際に誘拐はしないが相手に信じ込ませる「バーチャル誘拐」普通に有るらしい。「肋骨から採取されたDNA」日本でも美容外科で肋骨を除去して体幹を細くする肋軟骨除去、男性諸君は知らないだろうが割と一般的、DNAは組織からの報復を恐れた警察の虚偽、プーマとロシが主導するバーチャル誘拐も捨て難い。ミステリー専門の私は、母の聖戦は実は誘拐とは無関係だと思う。監禁されたラウラの映像も一切無い。歴史は常に勝者に依って塗り替えられるのです。
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