KnightsofOdessa

The Lighthouse(英題)のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

The Lighthouse(英題)(2006年製作の映画)
4.5
[アルメニア、戦争の醜さと人間生活の美しさ] 90点

大傑作。少女レナはまるで『ふたりのベロニカ』のイレーヌ・ジャコブのような物憂げな顔で列車の窓から流れる風景を見つめ、幼い頃に離れた故国アルメニアの寒村へとやって来る。時代はソ連統治下、恐らくナゴルノ・カラバフ戦争(とアブハジア紛争)が発生している当地から、祖父母をモスクワに移住させるためにやって来た彼女は、全く動く気のない彼らと同じく動かなくなってしまった電車によってモスクワへの帰還を阻まれ、何も知らない故郷での暮らしを余儀なくされる。監督マリア・サーキヤンは1980年、アルメニアはエレバン生まれ。詩人 Seda Vermisheva の孫娘でもあった。彼女は1993年に家族でモスクワに移住しており、長編一作目である本作品の主人公に自分を重ね合わせたのかもしれない。

本作品では、直接的な戦闘シーンは描かれることなく、突然戦争の目撃者/当事者になってしまった村人たちの生活を丁寧に重ねていくことで、戦時下でも故国で生き抜こうとする人々を描いている。特にタルコフスキーやソクーロフのような自然描写が素晴らしい。花や木、丘や空に至るまで、その美しさを余すところなく掬い取る。

困難な人間生活の裏で、自由さという軽さとこれまで先祖代々を見守ってきた歴史の重みを象徴するかのような自然の風景が、シーンの合間に挿入される。銅の精錬工場がある村では不可分となった霧と煙がそこかしこに現れ、禿山となった周辺の山に白色という色を付け足す。全体的に信じられないくらい茶色く陰鬱な画面は、霧と煙と雲、そして爆煙によって彩られていく。

動けなくなったレナは祖父母や叔母、隣人などの生活を手伝い、彼らの生活の中にやすらぎを見出していく。彼らは迫りくる戦火に少しずつ精神をすり減らしながら、これまでと変わらぬ生活を送っていたのだ。隣人の幼い息子と丘で遊んでいたレナのところにヘリコプターが登場するという作中最も恐ろしいシーンが象徴的に指し示している。

サーキヤンが描きたかったのは戦争そのものの悲惨さというよりも、それが日常生活にどう侵食し、どう人間を変えてしまうのかということだったのだろう。戦前と変わらない自然の中で、戦前と変わらない生活を送っているようにも見える彼らは根本的に変わってしまっている。精神をすり減らした叔母は"こうしたら泥棒が家主が逃げたと判断する"として、部屋中の窓ガラスを割って回る。久しぶりに電車が来れば、やはり村人は減っていく。帰ってこない夫を追って何度も駅舎へ向かう。夜中に轟音を立てて飛ぶ飛行機を見ながら"全て大丈夫"と囁き合う。これら戦争の負の側面が、普段生活の合間に挿入され、それらの対比に美しき自然が介入することで不可思議な叙事詩を形成しているのだ。

サーキヤンは以後アルメニア映画の国際的な地位を向上させ、二本の長編作品も撮ったが、37歳の若さで癌のため亡くなった。彼女がヴィクトリア・ルピック(Victoria Lupik)と共に設立した Anniko Films は、今でもアルメニアを中心に映画を製作している。
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