超努力型という才能の活かし方とは?
「伝説のハガキ職人」ツチヤタカユキの自伝書籍の映画化。サクセスストーリー要素は皆無でひたすらに重苦しい。とにかく非常識でコミュ症のツチヤが数々のチャンスを棒に振るう様を追体験する。
終盤、菅田将暉さんが言っていた内容がまさに。「才能で勝負することを世間に邪魔されていると嘆くが、笑わせる対象はその世間であるという矛盾」
人間関係やそのカルチャーにおける文脈とかを完全にとっぱらってもOKな才能ってほんとにひと握り。なんならジャンルによっては存在しえないのではないかとすら感じる。
少なくともツチヤの腕の磨き方は超努力型のそれなので、先人のアドバイスに聞く耳を持ち、その参考にならない意見を分析したうえで、古参を黙らす程のロジックをアウトプットする、そんな手段が彼の目指す「おもんない奴を黙らせる」結果への最適解だったように思える。が、自分の才能の方向性を天才だと誤解してしまったのかもしれない。「説明」をカッコ悪いものとして、あきらめていた。
創作の苦悩を才能の有無により描くアプローチは多くあるが、ツチヤに努力の才能と求められるセンスへの感度があったのは間違いないし、なんなら認められてもいた。そのため「社会性を身につける」という、才能ある誰もが通っている茨の道筋にスポットライトがあたっているのがこの作品の個性。それが岡山天音さんの脅威の演技力によってさらに際立っており、刺さる人には深く刺さる。
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・全編とおしてなのだが、特にヒリヒリする居酒屋シーンとラストは『苦役列車』を連想する。西村賢太さんも徐々に社会性を身につけ折り合っていたよなあと思い出してセンチな気分になった。
・もう兎にも角にも演技力。今年観た作品のなかでは主演助演端役、全てがトップレベルだった。映像表現も際立つものがあり、ちっとも心地よくないプロットを観れるレベルにしてくれている。
・ただ、オードリー特に春日さんのモノマネはノイズでしかない。『だが情熱はある』のブームに乗っかったのか?だったら本名で登場させればよい。隠したいのか誇示したいのかがわからない。
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ツチヤが忌避する腰巾着の氏家。
今をトキメクみなみかわさんが、氏家のモデルであろうサトミツに碇ゲンドウみたいなフォームでネタのダメだしされたことを「お前は若林さんじゃないぞ?」的に根に持っていたが、それはまあ別の話。