幽斎

私は確信するの幽斎のレビュー・感想・評価

私は確信する(2018年製作の映画)
4.2
2000年2月27日、フランス南西部で38歳の女性Suzanne Viguierが3人の幼い子供を残して忽然と姿を消した。本作は現実の未解決事件に迫る法廷劇を描く。原題「Une intime conviction」親密な信念。京都のミニシアター、京都シネマで鑑賞。

「ヴィギエ事件」私も知らない事件は有る訳で、改めて事件を掘り起こすと興味深い点が多々有る事は勿論だが、相変わらずフランスの警察は醜態を晒してる事に、何のリフレクションも無い事が見て取れる。事件発生から裁判まで異例の軌跡を辿り、フランス全土の関心を集めたが、肝心の遺体は発見されない。実は殺されたかどうかも不明。それで裁判に持ち込む検察も怠慢だが、それを扇動した者はもっと罪が重い。

第一級殺人の容疑者はSuzanne Viguierの夫Jack。大学の法学部教授で映画マニア、特にミステリーが好きだった彼を、フランスのメディアは「ヒッチコック狂の完全犯罪」と何の根拠も無しにセンセーショナルに報道し世論を煽る。裁判の行方を調べると2019年の第一審の判決は無罪。そりゃそうだろう、遺体も無く証拠も無く動機すら見当たらない。処が二審で夫は殺人罪に問われる。警察が無能と言うのはアメリカやイギリスでも無い訳ではない。その為のブレーキ役として裁判所が存在するが、フランスの検察は論点すらない事件を己のプライドだけで仕立ててるとしか思えない。

その暴挙と矛盾を解き明かす訳だが、驚くのはまだ早い。なんと警察は容疑者の夫やその父親に罪を認めるよう、執拗な嫌がらせをした。そして、失踪したSuzanneには、愛人が居たが夫に罪を着せようと、中傷キャンペーンまで画策した事が通話記録から明らかに成る。にも関わらず警察と検察、裁判官までも、自分達に都合の良い解釈で無実の人を犯罪者にする。免罪を生み易いフランスの司法を糾弾する意味を込めて製作された。

主人公ノラを演じたMarina Foïsは、実在しないフィクション。だが、彼女は私達の代弁者とも言える。本事件の様に、思い込みと願望から自らが正義と自己解釈して、暴走する心理はネット社会と酷似してる。秀逸なのはフランスの司法を正すだけではなく、それは個人でも起こり得ると訴えてる。COVID-19で閉塞的な生活が続く私達も、デリケートに為らざる負えない。ネットでも、全く事象に無関係の他人が身バレしない事を隠れ蓑に、一方的な批判や誹謗中傷を繰り返す危うさを本作は強く警告する。

Antoine Raimbault監督は、実際に夫Jackと知り合って裁判を傍聴、司法の悲劇を見た事から本作の原案を書いた。そして裁判の仕組みや弁護士の仕事をリサーチして、多くの人の苦しみが如何に生まれたか。映画人として是非にと映画化したいと考え、構想を練った。未解決事件なので、単なる再現ドキュメンタリーでは無い。監督が訴えたいテーマに共感して、小規模作品ながらフランスでは、SNSで拡散され40万人を動員する大ヒットを記録した。それは国民が免罪事件に敏感な証でもある。

私のFilmarksのIDは@sir.hitchcock。夫のJackも私と同じヒッチコキアンで、講義で「ヒッチコック的な完全犯罪は可能だ」と語った事を生徒が証言した事から、尾ヒレが付いてマスコミが根拠も無く事件と結び付け、日本のワイドショー宜しく騒ぎ立てた、驚いたのは控訴審の初日に裁判官が「貴方の立場をヒッチコックで例えれば?」と質問するバカなシーンが有る。これに対しJackは「バルカン超特急」と答えるが、裁判官はもう1つ有りますよね?と言って「間違えられた男」を付け加える。私は劇場でスリラーの神様を冒涜したと、マジで腹が立ったが世間が注目する裁判で、エスプリを効かせたつもりだろうが、トンデモな勘違い。国民総探偵気取りを、作品は大いに皮肉る。

「バルカン超特急」1938年製作、列車と言う密室を舞台に、主人公の男女が孤立無援に陥る心理サスペンス。
「間違えられた男」1956年製作、無実を晴らそうと逃走を図る、ヒッチコック得意の虚構サスペンスと一線を画す作品。

フランスの推理小説は法廷劇と言うのは殆ど無い。それは本作でも明かされた様に、物的証拠が無くても殺人罪で起訴できる、司法制度の欠陥。フランスのミステリーが起承転結を踏まない点と、良く似てる。「無罪推定の原則」がフランスで成立しない事に、日本人全てが驚くだろう。それは今も変わってない(推定無罪の言い方は誤り)。

日本も人の事を言えた義理でも無い。本編の台詞を要約すると「私が述べてる被告無罪説は仮説だが、検察の完全犯罪説もまた仮説で有り、世間のマスコミは後者の仮説だけを取り上げた。ならば被告無罪説の仮説も少しは取り上げても良いじゃないか」その通りである。「松本サリン事件」を知る人は年配の方だろうが、アレも酷い。河野義行さんを公然とテレビで犯人扱いした報道被害事件。「和歌山毒物カレー事件」林眞須美被告に死刑判決は出たが、物的証拠が無いのに、法務大臣は本当に死刑が執行できるのか?。もし自分が当事者に成ったら?、仮説が事実の様に流布する怖さを、貴方も目撃する。

秀逸なのは被告が無罪判決を受けても、その後を敢えて描かず、観客に「何が問題なのか」考える余韻を与えてる。もし夫が季節労働者なら、警察は行方不明で済ませたろう。夫がインテリと言うだけで先入観が初動捜査を見誤らせた。「事実」を元に推理すれば失踪ではなく拉致。若しくは誘拐なら警察が勝手に夫を犯人に仕立てたので、真犯人は身代金の要求も出来ない。国中を騒がせた妻を解放する事は自白したも同じ。その後、妻がどうなったか?。マスコミと警察は後戻りできない「罪」を犯してる。だからこそ公正な裁判が必要だと、私は確信する。

「疑わしきは罰せず」ネット社会こそ相応しい。正義と正義感は違う事を考えて観て欲しい。
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