春とヒコーキ土岡哲朗

プラットフォームの春とヒコーキ土岡哲朗のネタバレレビュー・内容・結末

プラットフォーム(2019年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

不幸を生む社会の仕組みをしかと見ろ。

食べ物を何不自由なく食べられて、本当に良かった。
観ていてずっと思うのは、それ。170くらいの層になると、何もない。何もなくなってから、まだまだ下がある上のごく少数のものだけが独占している。
現実を風刺して奇抜な設定に置き換えているが、「ご飯を満足に食べられるかどうか」という部分は現実の格差問題そのまま。

格差をなくすための戦い。
主人公は同室になった元施設関係者の女性から、皆で調和を図れば不幸な人が減らせるという考え方と、現実にはそんな綺麗事で他人の協力を得られないことを学ばされる。
その女性は、自分が聞かされていた「200層が一番下」という情報が嘘だったことを知り、世界に絶望して自殺。
最後に同室になった黒人男性は、ルールに甘んじることなく上層に乗り込もうというガッツを持っていて、それに刺激された主人公は、自殺した女性の意思も受け継ぎ「仕組み」に立ち向かおうとする。
途中で出くわした黒人男性の師匠的な人から、綺麗なままのパンナコッタを誰も手を付けずに一周させて送り返してやれ、それが伝言になる、と指示される。ここで師匠は、施設の管理者は心を持っていないが、「0層」で料理を作っている職員たちには伝わる、と言う。
この0層に、我々観客があてはまる。もし師匠が「管理者たちへの伝言」と言っていたら、権力者たちが言われていると思ってスルーしただろう。そこを、管理者は心がないので0層で働いている人間たち、とすることで、主人公たちの苦しみに心動かしていた自分が言われていると思うことができる。

そして、パンナコッタは下層にいた女の子に食べさせてしまうのだが、パンナコッタよりその女の子こそが0層の者たちへの伝言だとして、上に送られる。二人がパンナコッタを女の子にあげたシーンこそ、正しい瞬間。あのパンナコッタをあげる行為を世界の皆でしよう。そして、女の子が上に送られる姿に、たしかに我々は子供たちを不幸にしたくないです、「0層の者」として受け取りました、と思わされる。