「愛がなんだ」「アイネクライネナハトムジーク」で
今泉力哉を知り、「his」で完全にノックアウトされました。
(「街の上で」も大好きです)
他の映画監督とはモノサシのスケールが違うという印象があります。
ミリ単位の気持ちの揺れをその通り繊細に描く。
「愛がなんだ」を見た友人が「だから何なんだよと思った」と言いましたが、
それはモノサシの違いで、彼が言いたいことも理解できます。
「好きです」と告白する人とその告白を受ける人。
いずれも勇気と胆力が必要。
でもそれぞれの立場や年齢によって
そのあり方が違うよね、ということ。
その違いをミリ単位で表現している。
「ありがとう。でも、ごめんね」としか受け取れない告白。
そもそも告白した側も「そうですよね」と
スッと引き下がるしかないような距離感と熱量。
でも告白せざるを得ない。
軸となるのは花屋の夏目とラーメンウーマンの
告白をめぐる物語であるが、
それが軸でありながらもそれほど強く押されてはいない。
この作品の中に登場するそれぞれの告白が
すべて当事者として真剣勝負であることを表現しているのだと思う。
「好き」にも色んな角度と熱量と表現方法がある。
夏目の姪っ子の小学校3年生の「さほ」も、ともさかりえ演じる奥様も、
それぞれの立場から夏目のことが「好き」
田中圭の「すぐ隣に居そうな優しい」感じが、
まさにmellowでこの作品の世界観を体現しているようだ。
およそすべての女性が
人生のいつかのタイミングで
必ず寄り道して「好き」になってしまうような。
絶妙に「手を伸ばせば届く」感じ。
好きと恋愛は違うのだろうし、
恋愛に発展させない「好き」という熱量と間合こそが
最適という関係もあると思わされる。
ラストシーンのラーメンウーマンの最後の一言の余韻が素晴らしい。
「ありがとう。でも、ごめんね」と
この最後の一言の為に作られた作品なのかもしれない。