春とヒコーキ土岡哲朗

エルカミーノ: ブレイキング・バッド THE MOVIEの春とヒコーキ土岡哲朗のネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

神ドラマ、もう一つの最終回。

「ブレイキング・バッド」のエピローグとして良い。
一本の映画としても面白い展開の連続だが、あくまで大ごとが過ぎ去った後の雰囲気は漂っている。それは、ドラマでまだ見足りないジェシーの結末を語る作品、というのがこの映画の存在意義なのでそれで良い。

ドラマの最後、ホワイトは自分のまいた種に自分ができる最良の決着をつけに行くことに終始してしまった。でも、ジェシーは違う。
罪は消えないけれど、自分で進む先を決める自由を持っている。過去は変えられないし、過ちが帳消しになることはないが、それを抱えながらも幸せのために進む権利を、人間は持っている。物語上のあらゆる要素に決着をつけてくれたホワイトとは別の形で、ジェシーが人間の進み方として「ブレイキング・バッド」の結末を見せてくれた。

掃除機屋での駆け引きが特に面白い。
「人生帳消し屋」と思しき掃除機屋にジェシーが話しかけている間の、もしこの人がなんでもない人だったらという緊張。金が足りないと言われてから、さらに袋の中に金が入っていてジェシーが優位になる瞬間の痛快さ。
ジェシーは、男が警察など呼んでいないと高をくくっていたらパトカーが到着。ジェシーがピンチに陥ったシーンなのに、滑稽で面白くもある。そして、掃除機屋は警察に嘘の情報を教えてジェシーが追われないようにする気遣いはあって、別に嫌なヤツではなく自分のルールで生きている大人でカッコいい。

序盤は、シャッフルされた時系列が分かりづらいのと、そのせいでしばらく何が本筋なのか分からないのが難点。過去に起きたことが重要なのか、今やっていることが重要なのかがしばらく分からなかった。
また、現在のジェシーの目的が何なのかが掃除機屋に行くまで分からないのも、前半を混乱しながら見る原因。それでも、途中からはドラマ同様、興味をそそる面白い裏社会パートの連続だった。