椿本力三郎

キラーズ・オブ・ザ・フラワームーンの椿本力三郎のレビュー・感想・評価

4.4
さすがスコセッシ。マーベラス!

デ・ニーロとディカプリオの魅力を最大限に活かしている。
ディカプリオのハンサムだが軽薄極まりない男の演技は相変わらずハマっていた。自分の資産と名声だけが大切で、笑いながら全く躊躇せずに人を殺めるデ・ニーロのある意味での小物感(しかも命じるだけで自分は手を出さない)自らをキングと呼ばせることは、この小物感の自覚とコンプレックスの裏返しなのだろう。

さて、古典的なアメリカ映画では、
インディアンが悪・未開・野蛮で、
白人が正義・洗練・啓蒙的の対立軸で描かれることが多いが、
本作ではそれを見事に反転させている。
(白人は、資本主義、法と政治の象徴としてネガティブに描かれる。それらの暴走によってインディアンの部族が象徴するイノセントさが多いにかき乱されてしまう。ディカプリオが、インディアンの部族の女性との間に産まれた息子にカウボーイと名付けていることは、その根底に差別的なニュアンスを持つ映画的な構図と本作における反転性の暗示か)

白人(≒資本主義)によるコミュニティへの介入と暴走のきっかけとなる「石油の受益権」そのものについては、
結局、それほど直接的に登場することはないが
それがフラワームーンというコミュニティの基盤にあることはよく伝わってくる。
キラーズと複数形になっている点もポイント。
その「あっさり、次々と、当たり前のように起こる」感は、スコセッシの作風の特徴。

また、どのファミリーへの帰属意識が高いか、
自らの利害関係でクルクル変わる白人と
ブレることのないインディアンの精神性の強さ。
それが陪審員制の裁判という場で強調されるのも
スコセッシによる現代社会批判として受け取るべきであろう。
ディカプリオの嫁が注射を打たれなくなって
それまでの「強さ、美しさ」を取り戻すシーンは、神々しさすら感じた。

後日談の描き方も印象的。
スコセッシ自身が一連の事件の「後日談」には、
まったく興味がないことが伝わってきた。
3時間半は長すぎると思ったが
すべて見終わってからちょうど良いと思った。
ダラダラ描いているのではなく、
丁寧に繊細に描いているがゆえの3時間半。