KnightsofOdessa

音楽ホールのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

音楽ホール(1958年製作の映画)
4.9
No.338[旧世代最期の輝きとその壮麗なる落日] 99点

オプー三部作によって国際的名声を得たレイだったが、自国では全くヒットしなかったようで、ならば自国でヒットする映画を撮ろうと製作されたのが本作品。通算監督四作目。海外ではバカ受けしたらしいが、残念ながら本作品もそこまでヒットはしなかった。ここまでならば巨匠の失敗作ぽい流れなのだが、インドの古典音楽を初めて使った映画であり、オプー三部作で描かれた市井の人々の生活からかけ離れた地方地主の退廃した生活は、カルカッタの富裕層に生まれたレイの真骨頂とも言えるだろう。レイ大好きな友人は軽くて一番見やすいと言っていた。

冒頭の揺れるシャンデリアから既に豪華だが、出てくる小物類全てが豪奢で優雅、それを包み込む古典音楽に寝転ぶおじさんたちという最高に暇を極めた金持ちの遊びという感じが素晴らしい。一緒に混ぜてくれてありがとうと言ってやりたい。しかし、パーティ三昧の生活は一瞬にして夢と消え、模型の船が倒れる→サイクロンと雷→揺れるシャンデリア→コップに浮かぶ虫という死の連想によって屋敷にも死がもたらされる。この対比は胸に迫るものがあり、豪奢な彫刻や家具は全て消え失せ、大きな屋敷には鳥や虫が巣食い、文字通り影が支配的になる。

再び屋敷に光が灯るのは、やはり旧支配階級の見栄であり、隣に引っ越してきた成金野郎に自分の優位性を見せつけてやろうと企画された盛大な音楽会である。上辺だけの豪奢さを取り戻したボロ屋敷は、そのまま地主の心の内を表しているようで、斜め上から見下ろしていたカメラがフッと部屋に降り立った瞬間に目頭が熱くなる。アングルが妻子を失ったときと同じなのだ。地主の中にこの演奏会を"滅びの美学"として位置付けているかは微妙だが、享楽主義者が享楽の中に果てていく様は、本人の言う"血"に殉じた結果なのだろう。風/虫/炎によって豪奢さと共存していた"死の影"が完全に姿を表すのが朝日という皮肉は辛すぎるし、ドン・ファブリツィオのように涙を流す余裕もなく最後の資産たる土地に叩きつけられる地獄で世代交代が終わってしまうのは悲しいのなんの。
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