浄土

バービーの浄土のネタバレレビュー・内容・結末

バービー(2023年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

冒頭でパロられた『2001年宇宙の旅』の第一章に"The Dawn of Man"(人類の夜明け)という副題がついているのはご存知の通り。勘のいい人ならこの時点でグレタ・カーウィグの本作に対するスタンスを察するだろう。

我々が今からお見せするのは"The Dawn of Woman"ですよ、と。

マンスプレイニングとミソジニーに中指ぶっ立てて、ピンクで身も心も武装してガールズエンパワーメントを達成する強い女のコのための映画…なんてものはどこにもなく、ただただ眼前に広がっていくのは極彩色に塗れたおもちゃの国のディストピアだった。

バービーワールドは女性の独裁政権。しかし家母長制ではない、なぜならそこには「家庭」や「子」は存在しないし、家があるのもバービーだけ。ケンは毎晩どこに帰っていたのだろう?

ケンが男性性を自覚してバービーに反旗を翻す展開は、額面通りに受け止めれば「悪い男を倒すために一致団結した女性たち」だったかもしれない。しかしお粗末過ぎる説伏と不正選挙が意味するところは、革命(ケン)を力尽くでねじ伏せた既得権益(バービー)に他ならず、もとの独裁ディストピアに戻っただけのこと。お気づきのようにバービーワールドにおけるヴィランはバービー達なのだ。

こんな結末で女性の溜飲を下げて、めでたしめでたしで終わらせるグレタ・カーウィグでないことは言わずもがな。

ここで"The Dawn of Woman"が活きる。

その権力構造に懐疑を抱くのが、マーゴット・ロビー演じる定番バービーその人である。ここで彼女は安寧の場所から"降りる"という選択をする。私は私、自らの生きる道を自分で選んで進む―まさにフェミニズムの1ページ目じゃあないですかこれ。

そういう意味であの産婦人科ラストはnature(自然な・本質的なという意味で)に立ち返るという意味で非常にしっくり来るし、女性自身が生まれ持つ女性性のアイコンとしては一番妥当だろう。バービーという作られた女性性から、人間という自然な女性性へ。彼女の身体は彼女だけのものであり、誰のものでもないのだ。私はあなたの人形ではない…というメッセージをわざわざ国民的人形を主役に据えて伝えてくる所業そのものが、グレタ・カーウィグ流パンク精神の顕現と言えるかもしれない。

映画作品としての好き嫌いで言えば正直ノレない部分も多かったが、女性監督が撮ったフェミニズム映画の記念碑的作品として後年まで語られるべき快作であることは間違いない。
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