お腹すいた

シン・エヴァンゲリオン劇場版のお腹すいたのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

リアルタイムでテレビ版のエヴァを見て、旧劇とかも映画館で見たしエヴァ世代と言うのかそれなりにハマっていたつもりだったけど今作を見て「もうエヴァはええわ…」と苦笑いと共に突き放された感が強く、きっぱりエヴァンゲリオンという作品から完全に私は卒業できたのがありがたいな。

これまでは噛ませ犬っぽい突然の登場のマリは声優が好きなのでこんなぽっと出の勿体無い使い方はしないでほしいなとは思っていたけどまさか最後はヒロインポジションになるとは思わなかった。

今作は作品そのものだけではなく周囲の、劇場に鑑賞に来ていた人の反応をも見て完結するんだと思う。

ネットであっちもこっちもみんなくっついてて汚らわしい!みたいな反発がすごく多くてそれがとにかくとてもおかしかった、そういう反応が逆に本当にどうしようもなく愉快でたまらなかった。そういう反発を持つ人たちは、アニメの中のキャラクターは現実のアイドルと同じく恋愛をしてはいけないとでも思ってるのだろうか。仮にそれぞれがいろんな馴れ初めの上に恋人の仲になってても最後だし良いんじゃ無いとは思う。思うけどそれならもう少し経緯や、それぞれのカップルはきちんと成立してますっていうのをきちんと表現描写してほしかった。わざとはっきり書かなかったのはそれぞれが別に恋人同士ではないからかな、となので思った。

というわけで自分はアスカとケンスケが恋人同士だったとは思わない。
最後のシーンもマリとシンジが手を繋いで走ってる通勤シーンがあったけど、この2人が恋人同士になる経緯があったか私の読み取りが足りなくてわからなくて、あの2人は単に男女の友人だと理解したし(自分も男女でも別に恋人ではなくても腕組んで歩いたりするし)カヲルとレイが一緒にホームにいたのも兄妹か姉弟の関係かなと思った(見た目も似てるし)。
こういう、恋愛描写を描くのに不慣れな人、否あまり恋愛経験のない人?がアニメの中で恋愛描写をしようとすると、わかりにくくて理解が出来ないのはダイナゼノンのアニメもで、あれも途中までは特撮ロボットものとしてすごくよかったのに途中からよくわからない高校生の恋愛ものになってしまい私の理解が追いつかなかった。恋愛ものは漫画も映画もドラマもそれなりに見るし大人として現実でいろんな恋愛経験もあるが、だからこそ既存の作品や自分の経験の範囲外の描写なのでダイナゼノンとエヴァの今作の恋愛描写が私にはわからなかっただけなんだろうか。

ともあれ、長い間、パチンコ以外はだいたいのエヴァというコンテンツの生み出すものに触れ、コラボカフェに行ったり、グッズを買ったり、書籍買ったり円盤買ったり友達と一緒に見て感想を語り合ったりもしたエヴァという作品だけど、今作を見て「もうエヴァの時代じゃないし今後はブームになる事もなく、人々の話題に上がる事もなくなっていくんだろうな」と思った。