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シン・エヴァンゲリオン劇場版のたのレビュー・感想・評価

1.0
生み出したものには責任を取らなければならない。それがどれほど不可能そうなことであっても。

私は新劇場版自体存在が必要かどうか不明だと以前から主張しているが、今回の作品をみてもやはり新劇場版はなくて良いし、ない方が幸せだったのだと思う。けれども作品も子供も何もかも人生において全てのものは後の祭りだし、今の自分には過去のそれをどう引き受けていくかでしかない。この作品は(元はと言えば自分で巻いた種だという指摘は思いっきり横に置いておくとすると)その自分の過去の責任に対して落とし前をつけ「ようとし」たという点において「のみ」わたしは評価したいと思うわけだ。
庵野秀明監督は奥さんを見つけて幸せになったのだ、もうそれ以上の何も必要ないのではないか。
はい、そうですか。としか、言いようがないのだ。。どこまで行っても。

以下、ネタバレ感想(愚痴)ーーーー

皆さん感動してらっしゃるが、それは驚くべき間違いだ。この映画は泣く映画ではない、笑う映画だ。
ちなみに私は泣きも笑もせずにふつふつと怒っている。本来は笑い飛ばせば良いんだろうなとは思いつつも。。あるいは人は可笑しくて仕方がないレベルが限界値を超えると怒ってしまうのかもしれない。そういう意味では感情の笑いから怒りへの量子テレポーテーション...つまりマイナス宇宙的作品なのだ(大爆笑/大激怒)

結局「マイナス宇宙」なんすよ!そこに入るとなんでもありなんすよ...はぁ...
それ以外も例えば「力ではどうすることもできない!なぜなら同じだからだ!!」とかとかとか全てを登場人物に言われせる始末...観客はバカだから全て言葉にしないとわからない、観客はバカだから単純な農業やってるところ見せたら喜ぶっしょ、観客はバカだから女性キャラが乳を当てたり脱いだりすると喜ぶっしょ、、、
観客を馬鹿にしすぎだろう!
と叫びサードインパクトを起こす寸前でした。失敬アナザーインパクトか。
(爆)

皆さん伏線回収とか旧劇場版からの繋がりとかめちゃくちゃ考察してたじゃないですか??全て「マイナス宇宙」なんすよ。ちーん。
まぁ元々私は旧劇場版からの繋がりとはどうでも良いと思ってたので良かったんだが「マイナス宇宙」なんです。本当にあったとも言えるに無かったとも言える。要はなんでもありということ。

すいません取り乱してしまった。
やはりこの映画は中高生のために作られたということをもう一度念頭に据えて捉えるべきだ。大人のための映画ではないのだ。
これに無限の賞賛をするこの国は終わっているのかもしれない。
否、終わっているのだ。

閑話休題1

この作品について良いと言っている人はなんなんだろうか?単にハッピーになれば良いと思ってる人なのだろうか?結局シンジの立ち直りも偽善的で記号的なものでしかないような気がする。また後半はシンジではなくゲンドウのお話をしたりアスカの話(これまでしてこなかったものを唐突に)をしたり...と話としてとっ散らかっている印象が拭えない。やはりシンジの物語としては旧劇の完成度に及ばない。

拙いCGや演出なども確かに物語をメタ的なものとして表現したものです!という説明もわかるけれども、アスカがシンジにパンを食べさせるところや骸骨エヴァの戦い方とかそういう敢えて拙いことしてます!というところ以外でもとほほとしか言いようがないのだが...

私はこの作品を観てスターウォーズのEP9を思い出した。結局前作で鬱展開に持っていってそれを解消させただけで作品としての強度はほとんどなく底が抜けている。怒涛の説明展開でここまでやったら喜ぶよね!のごり押し。本作を見ている途中で「あぁ、これでダメなのが決定的になった」という言葉がどれほど心の中でこだましたことか。

また、これまでのテレビ版、旧劇場版のエヴァと新劇のエヴァではこれみよがしなお色気シーンが散りばめられていることは同じだ。けれどもテレビ版、旧劇場版のそれは単純なサービスシーンという枠には収まらず、シンジの他者(異性)への妄想と葛藤という重要なテーマと相まって必要不可欠な要素であり納得することができた。今回のそれ(お色気シーン)の必要性はなんだ??それは年老いたオタクやファン、またはその他全員の視聴者男子への単純なサービス以外に無いのではないか?そんな下世話(そもそもそういう描写がどのような理由があっても下世話以外の何者にもならないという指摘は横に置いておくとして)な話があって良いものだろうか?私は良くないと思う。子供が見るのも不適切だし、女性はこれらの表現に対してどういう感情を持つのだろうか。少なくとも私は子供にこれは見せたくない。芸術的な作品という断りを入れれば旧劇場版はむしろみるべきだと思うが、この新劇場版はこの表現一つをとっても良いものだとはまったく思えない。

①自意識として性というものがない女性(レイ)
②自意識として性を否定する女性(アスカ)
③自意識として性を肯定してそれを利用する女性(マリ)
②の所謂フェミニズム的な女性ではなく、自らそれを受け入れ武器にしていく③のような女性像は女子アナなどの今の女性を上手く表しているとは思う。主人公はくよくよせずに③の女性と手を取って進む...それはそれで限界なのでは?私はそれはそれでどうかと思う。①はその性に自覚的になるべきで、②は対立から融和へと一歩進むべきだし、その成長こそが描くべきものだと思う。現にこの作品でもある程度描こうとしていたけれど、肝心の最後の女性が③とは...私はこの答えには論理的な言い方は敢えてしないが納得できない。おじさんへの性的接待も厭わぬ女性ってなんだかんだ良いよね?だって単純に俺の心がぽかぽかするもん的な開き直った価値観は非常に危険だ。アクロバティックに飛んだものの非常に陳腐な着地になっていることを淋しく思う。

閑話休題2

エヴァの魅力は謎解きやエロにあるのではなくてそのから漏れ出す庵野秀明という一人の男の切実なる叫び声だ。それは決してマジョリティに迎合するものでもなく、マーケティングの結果でもない。孤独と偏見に耐えて生きる切実な声、魂と呼んでもいいかもしれない。その魂こそがエヴァらしさなのだ。本作はどうだろうか?甚だ疑問が残る。私は本作を見て結婚して大層平凡でつまらなくなってしまったかつての旧友のことを思い出してしまった(そんな友人は現実世界にはいないのだが)。

この作品を見ることでエヴァについてもう考えることはやめようと思えた事がこの映画の計画された最大の結果だったのかもしれない。あぁ、とは言いつつもこうやったらもっと良くなったのでは?ということを考え始めてしまったのでそれも失敗なのだ。残念ながら。

エヴァの呪縛

やれやれ、でもいい。私の中ではこの4部作品はなかった世界線に生きようと思う次第なので。

閑話休題3

と言いつつも最後の悪あがき
もし私がシンエヴァを作り直すとすれば...

ゲンドウは自分の過去の過ちを憂いて全体主義的な独善性に至る。これまで何度もその過去をやり直そうとしてきた(旧エヴァの世界線)けれどもユイを救うことができなかった。だからこそこの世界を終わらせるのだという思いに取り憑かれている。シンジはこのゲンドウと戦い自分の過去を変えようとする何回も...自分の昔をみているように思うゲンドウはその先も自分と同じ絶望を悟るのだと思いそれを止めないでいる。結局のところやはりシンジは何も救えない、同じようにレイを失いアスカを失う...けれどそれに囚われず新しい命を土に混じっても未来に託していくことこそ自分の使命ではないかと気付き、やり直すことをやめる。エヴァの呪縛によって子供は作ることはできない。けれども人との関わりの中で自分を失いながら自分が広がっていく不思議な感覚を見つけることができる。過去に囚われ自分を悔やむことは時に必要だがそれに甘んじてずっと留まってはいては何も変わらない。...とシンジは気づく。お前のことは理解できない!!と予想外の結末に叫ぶゲンドウの目からは何故か涙が流れていた。「料理を作ったんだみんなで食べよう」と誘う碇シンジ。碇シンジの顔にユイとそして自分自身の顔を顔が重なり思わず承諾してしまう碇ゲンドウ。自分が探していたものは自分が一番避けていたこの碇シンジだったのだということに気づく。最後、家族や皆で味噌汁を飲む。ゲンドウ「シンジ....すまなかった」。「自分の犯した罪は自らの手で止めてみせる」という言葉を残して去っていく父ゲンドウなのであった。夕暮れの空にふたつの大きな翼がはためき世界は光に包まれた。世界を作り直すラストインパクト。
閉じられた物語世界が開きあたらしい世界がはじまる...
世界は暗闇に包まれる、怖がる村人
シンジ「大丈夫、僕らでもう一回始めよう」
こんな感じで、まず①繰り返すエヴァ世界と親子と対峙②息子の成長③苦しみと実生活、お食事会④自分の責任を引き受ける新たな世界

スタッフロール後

フィギュアが並んでいる書斎で目を覚ます庵野秀明監督。ちょっとー!と声をかけられ慌ててモヨコさんがいるテーブルに着く。
もぐもぐもぐ
テレビでは新しいアニメがスタートするようだその名は新世紀エヴァンゲリオンというらしい
リモコンでテレビを消す、ゆっくり見ている時間はないのだ
庵野秀明「モヨコ、ごめん急ぎの用があってもう行かなくちゃ、後片付けよろしくお願い」
モヨコ「しょうがないわねーわかったわ。
あらあなた.....
お肉も食べれるようになったの?」
終劇。

あるいは「マイナス宇宙」以降においてセリフをほとんど全て無くすと良いかもしれない。。2001年宇宙の旅のように。

閑話休題4

うむ。批判することは簡単だが実際にやってみると難しいものということがわかった。
結局のところストーリーの問題ではなく演出や映像の問題なのかな?とか色々考えてしまうけれど、単純にその他ジブリ等の作品と比較して飛び抜けて本作が良いとは思えないことには変わりはない。相対評価ではなく絶対評価的にもそうだ。そのことを明確に語る言葉を見つけることは今のわたしには難しいようだ。無念。
た