七沖

魔女の宅急便の七沖のレビュー・感想・評価

魔女の宅急便(1989年製作の映画)
4.6
〝おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。〟
10代の時に1回観たきりで、今回金ローで久々に観直した。

こういう話だったか〜。けっこう忘れていた。
大人になってから観ると、新卒の頃を思い出して懐かしい気持ちになった。

『ルージュの伝言』と併せて夜空をバックにでてくるタイトルのセンスが最高!!タイトルの出し方が素晴らしい映画ランキングとか、いつか考えてみたいし、自分以外の人のランキングも超知りたい。

飛んでいるキキ視点や街中を歩き回る人々など、アニメの動きがリッチで、それに合わさる久石譲の音楽がどれも素晴らしい。こんな海沿いの街に住んでみたいな。音楽が素敵すぎて、一回しか観たことないくせにサントラだけは持っている笑。

※かなり大勢の人に観られた映画だとは思いますが、以下、一応ネタバレです…↓




















キキが途中で魔法が使えなくなる理由は、自分は彼女が子どもから大人に変わり出したからだと思った。
恋だったり、独りで初めて引く風邪だったり、仕事を喜んでもらえないというシビアな現実だったり、一つではなく色々な理由があるのだと思う。

劇中でキキは、ずっと誰かに言われたり頼まれたりして飛んでいたが、最後は誰かに頼まれたわけではなく自分の意思で飛ぶ。
現実に直面して自信を失っても、現実を打開するために頼りになるのはやっぱり自分の力だ。
何も考えずに飛べていた子どものキキが、自分の意思でデッキブラシにまたがった結果が、あの爽やかなラストなのかなと思った。

ジジと会話が出来なくなるのも、ジジがキキの幼なじみだと考えると、なんとなく腑に落ちる。
小さい時はよく一緒に遊んだのに、別の学校・別の会社に入って、全く話が合わなくなった友人のことを思い出した。
ジジの声が聞こえなくなったのはキキだけの問題ではなく、ジジも原因がある。彼もまた自分の家族を作ろうとキキから自然と離れて行っていたので、お互いに別々の道を歩み始めて、自然と話が噛み合わなくなってしまったのではないか。そう考えると少し寂しい気もするが、大人になるにつれて、そうしたことってあるよなぁ、としみじみ思った。

だからこそ、エンディングの『優しさに包まれたなら』にある、「大人になっても奇跡は起きるよ」という一節がすごく好きだ。
原作小説は未読だしアニメに続編はないので先のことは分からないが、キキとジジは別々の道に進んでもきっとずっといい相棒なのだろうと思うし、もしかしたら奇跡が起きて、また話が通じる瞬間もあるのかもしれない。

最後は意外なほどスパッと終わるが、これもこの映画の爽やかさに繋がっている気がする。
子どもの時に観るか、大人になってから観るかで、受け取れるメッセージが変わる作品だ。これからの人生では、何回か観返していきたい。
七沖

七沖