KnightsofOdessa

逮捕命令のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

逮捕命令(1954年製作の映画)
4.0
No.291[痛烈なるマッカーシズムへの皮肉、権力へ盲目になり"正義"を見失う人々] 80点

「牛泥棒」や「真昼の決闘」に似た所謂"社会派"西部劇であり、それらの内包するメッセージと類似している。特に後者との類似性は、マッカーシズムへの批判、リアルタイム進行、巨悪に踊らされる人々など列挙に暇がない。しかし、本作品が上記ふたつと決定的に異なるのが皮肉がより痛烈であること、そして全くと言っていいほど有名でないことだ。

ダン・バラッドは二年前にシルバーロードにやって来た牧場主。街で一番裕福な娘ローズと独立記念日の結婚式を挙げている最中、4人の喧嘩腰の連邦保安官が邪魔に入る。ダンには連邦保安官マッカーティの弟を背中から射殺し2万ドル奪った罪で逮捕状が出ていたのだ。彼は無罪を主張し、街の人々も横柄なマッカーティに反対する。二時間の猶予を貰って無罪であると示そうとするが、同情的だった街の人々は次第にマッカーティ側に付き始める。マッカーティ一味のジョンソンが金次第で裏切ることになり、マッカーティが連邦保安官ではなく逮捕状も偽造されていたことを知る。彼は本物の連邦保安官を殺害し、なりすましていたのだ。しかし、判事に話す直前にマッカーティがジョンソンを殺害、事態を収束させに来た保安官まで射殺してその罪をダンに着せてしまった。追われる身となったダンは襲いかかってくる街の人々を片付けながら無罪を主張していく。弾も無くなり、教会に追い詰められたダンだったが、電報が再開したことで無罪を証明し、マッカーティは跳弾に当たって死ぬ。

連邦保安官という巨大な権力を前に盲目になる人々を克明に描写した耳の痛くなる話で、直接的な皮肉が強すぎる気もする。例えば、本作品は独立記念日に起こっており、アメリカ国旗を盾に撃ち合いをしている。或いは、マッカーティが跳弾に当たって死ぬのは教会であり、弾は"自由の鐘"に当たって跳ね返るのだ。当時マッカーシーが行っていた赤狩りという名の魔女狩りは、国全体を疑心暗鬼にさせ、東ドイツのような"目に見える監視社会"となっていたことだろう。連邦保安官=マッカーシーが言うことは絶対であり、一度告発された人間は何を言っても無駄ということを克明に描いている。まぁ皮肉大好きな皮肉屋だから強くても好きになれるけど。

ただ、決定的にまずいのが、「牛泥棒」「真昼の決闘」では主人公フォンダ及びクーパーが常に"正しかった"のに対し、本作品のペインは正当防衛を理由に町の人々をガンガン殺しまくっているということ。この演出だけは乗れないんだよなぁ…

ドワンはサイレント期から息の長い活躍を見せた職人監督であり、どうもデミルやホークスのような印象を受ける。日本でほぼ知られていないのは単純にいかなる賞を受賞していないという、日本人特有の"権威に弱い"面が前面に出た弊害だろう。斯く言う私も初めてドワン作品を見るのだが、本作品は"1001の映画"に紹介してくれてよかったと思うよ(珍しく褒める)。
KnightsofOdessa

KnightsofOdessa