オーウェン

炎のランナーのオーウェンのレビュー・感想・評価

炎のランナー(1981年製作の映画)
5.0
この映画「炎のランナー」は、自分の生き方を信念をもって曲げない男達の物語ですね。

製作者のデヴィッド・パットナムは、1981年の「炎のランナー」の製作意図を「世界の若者達が新しい聖火をかかげ、本来のオリンピック精神に再び火を灯すためにこの作品を作った」と語っています。

そして、この映画「炎のランナー」は、その年の第54回アカデミー賞の作品賞、オリジナル脚本賞、作曲賞、衣装デザイン賞を受賞しており、特にその年の有力候補といわれた「レッズ」(ウォーレン・ベイティ監督)、「黄昏」(マーク・ライデル監督)というライバルを事前の予想を覆して制し、作品賞を受賞したというのは大きな意味があったように思います。

また、この映画は英国アカデミー賞の最優秀作品賞、ゴールデン・グローブ賞の外国語映画賞も併せて受賞している名作です。

この製作者のデヴィッド・パットナムは、1971年の「小さな恋のメロディ」や1978年の「ミッドナイト・エクスプレス」等のアラン・パーカー監督の名作を世に送り出し、その後も思想性のある骨太な1984年の「キリング・フィールド」、1986年の「ミッション」等のローランド・ジョフィ監督の名作も製作している敏腕プロデューサーです。

この映画は、1924年の第8回パリ・オリンピックの100mと400mの種目でそれぞれ優勝した、イギリスの二人の選手の実話をもとに描いています。

一人は名門ケンブリッジ大学のユダヤ系の学生ハロルド・エイブラハム(ベン・クロス)で、彼は人権的な偏見と重圧を常に感じていて、それへの反発から極度の負けず嫌いになり、短距離走者として、走り勝つ事で現状を打破しようとする青年です。

もう一人はスコットランドの天才的ランナーと言われる、プロテスタントの宣教師のエリック・リデル(イアン・チャールソン)で、彼は宣教師の父が中国で伝道中に生まれ、自分の命の全てを燃焼させる事こそが、神の教えであると信じ、自らも神に仕える身として、一生を捧げようと考えている青年です。

そして、二人にとっての当面の大きな目標はパリ・オリンピックの100m走で優勝する事でした。

描かれるエピソードの中で以前、ハロルドがスコットランドでライバルのエリックのレースを見た時、途中で転倒しながら最後まで走り抜き、見事1位になった恐るべき執念に舌を巻きます。

オリンピックの前年にロンドンで開催された競技会で二人は初めて対決し、エリックが僅差で勝利します。

その競技を見たプロのコーチのムサビーニが、ハロルドの資質を見込み、トレーニングのコーチを引き受けますが、このムサビーニは、アラブとイタリアのハーフで尚且つプロという事で、ケンブリッジ大学の長老の教授達は、この事がアマチュア精神に反するといってハロルドを叱責します。

この教授達が言う大義名分の裏には、ケンブリッジのエリート意識から来ていて、ハロルドは反発を覚えながらも自らの初心を貫きます。

このエピソードは、イギリスという国の悪しき伝統、格式といったものを批判していますが、決して完全否定している訳ではないように思います。

ハロルドにしても、このイギリスの純潔主義へ反発しながらも、自分がケンブリッジのエリート学生であるという誇り・矜持は持っているように思います。

エリックのエピーソードで言えば、オリンピックの予選の日が偶然にも日曜日となったため、神の定めた安息日の戒律を守るために出場を拒否します。

イギリス皇太子やイギリスチームの幹部は、国のためにと彼を説得しますが、彼は"国の上に神があります"と主張して"祖国の名誉よりも信仰"を選択します。

エリックの信念は固く、やむなく彼を他の選手に変えて400m走に出場させる事になり、結果としてハロルドが100m走でエリックが400m走で共に優勝し金メダルを手にします。

このそれぞれのエピソードには、ヒュー・ハドソン監督と脚本のコリン・ウェランドが、この映画に託した思いが浮かび上がってくるように思います。

ユダヤ人として、史上初めての金メダルを手にしたハロルドにとって、走る事は"ユダヤ人のための戦い"でしたが、エリックにとって走る事は"神のため"であり、尚且つ自分自身に克って"神と共に"走り抜く事に"神の歓び"を感じる彼は、天を仰ぐ独特のフォームで走っていたように思います。

そして、この映画の中で最も印象的なシーンとして、ハロルドが競技に出場した時に、コーチのムサビ-ニは、スタジアムには行かずに近くの別の場所にいて、窓から見える旗を見て、また聞こえてくるイギリス国歌を聞いて、ハロルドの勝利を知るというシーンは、まさに胸が詰まるような、映像による感動を覚える名場面だったと思います。

このシーンの描写は、"愛国主義"のように見えますが、それを超えて、この映画が我々観る者を魅了してやまないのは、"自分の生き方を断固とした信念をもって曲げない主人公達の強烈な生きざま、人間としての在り様"に引き付けられるからだと思います。

記録映画出身のヒュー・ハドソン監督は、静かで抑制した映像でオリンピックをクライマックスに、躍動する、"ある時代の青春の生命の輝くような美しさ"を丹念に描いていきます。

ハロルドはその後、法曹界で大成し、大英勲章も授与して1987年に没したそうです。
映画は、その葬儀の場面を起点として、1920年代前後の時代を回想する形式で描かれています。

一方のエリックは、このパリ・オリンピックの翌年に中国の天津へ行って布教活動に入りますが、第二次世界大戦中も中国にとどまったため、日本軍の捕虜収容所に抑留され、そこで1945年、わずか43歳の若さで没したそうです。

この二人のその後の辿った人生は、大きく異なりましたが、それでもこの二人は、それぞれ"人生の自分のコースを全力で走り抜いた"とも言えると思います。

その意味からも、この映画の冒頭のシーンとラストシーンで、暗い海を背景にして渚を駆け抜ける、オリンピックのイギリス代表チームのランナー達の絵画的な美しい映像とギリシャ出身の世界的なシンセサイザー奏者のヴァンゲリスの胸を揺さぶるような音楽とが混然一体となって、"人間が走るという事の歓び・素晴らしさ"が、我々観る者の心の奥底に響いてくるのです。
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