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四川のうたのnetfilmsのレビュー・感想・評価

四川のうた(2008年製作の映画)
3.9
 2007年、中国四川省・成都。巨大国営工場「420工場」の繁栄と共にあったこの街だが、工場は50年あまりにわたる歴史に幕を閉じようとしている。工場内のホールでは、跡地を土地開発企業に引き渡す式典が行なわれていた。かつてこの工場で働いていた労働者たちが、それぞれの思い出をゆっくりと語り始める。50年にわたり中国の基幹工場として栄えた巨大国営工場の閉鎖が、この街に与える影響はあまりにも大きい。3万人の労働者が失業し、その敷地内で暮らした10万人の家族たちの故郷が失われる。まさにここでも「失われた風景」と「失われた生活」にカメラは向けられる。『世界』で試みられたような手持ちカメラによる機動力を生かしたショットや、役者たちの動きに連動するような躍動するカメラの動きはここにはもうない。冒頭、「成友集団」の巨大な赤字のエンブレムが固定カメラで据えられた後、カメラはこの工場の内部をハイ・アングルでゆっくりと切り取っていく。各人のエピソードの一つ一つが実に生々しい。子供を養うために必死で働いていたのに、突然解雇されてしまった修理工の中年女性。成都に向かう船の中で子供とはぐれてしまった中年女性。過ぎ去った青春に思いを馳せる成発グループ社長室副主任の男。職場の花として男性労働者に大人気だったが、初恋の同僚がテスト飛行時に事故死し、その思いを引きずる中年女性。彼女たちの年輪が、420工場を巡る時代の大きなうねりの中でゆっくりと炙り出される時、激動の時代を生きる中国の人々の苦しみや悲しさ、残酷さが滲む。

 今作はドキュメンタリーの体裁を取っているものの、フィクションとドキュメンタリーはごちゃ混ぜになり、
これまでのジャ・ジャンクー作品とは違うまったく新しいスタイルを提示する。思えばこれまでのジャ・ジャンクーのフィルモグラフィにおいて、ある中国の現実に対して、そこに出て来る役者たちが演じるのはもっともらしいフィクションであった。彼ら彼女らの演じる物語は、ある図式化された物語に過ぎず、それはその土地で過ごした人物たちの真にリアルな造形描写ではなかった。それが今作ではいわゆるフェイク・ドキュメンタリーの手法で、ジャンクーは420工場を巡るおよそ50年にも及ぶ歴史を浮き彫りにしようと試みるのである。この映画をクランク・アップするまでに、当然監督には綿密なリサーチがあり、そのリサーチの過程で何十人何百人もの人間の証言を聞いたはずである。ただその中の取捨選択や語り手のチョイスは監督であるジャ・ジャンクーの判断でしかない。フィクションとドキュメンタリーの曖昧な領域の中で、時に山口百恵の歌やイギリスの作家イェイツの詩や成都を詠う古典詩が引用されることで、映画は大胆にもフィクションとドキュメンタリーの垣根を越えていく。ここにあるのはジャンルとしてではなく、スタイルとしてのフェイク・ドキュメンタリーであり、「失われた風景」をエディットする作業に他ならない。
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