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アメイジング・スパイダーマンのnetfilmsのレビュー・感想・評価

3.8
 アメリカ・ニューヨーク、階段でカウントダウンをし、鬼ごっこを始める4歳の少年ピーター(マックス・チャールズ)は愛する両親を必死で探す。父の書斎に入った時、窓が開き、嵐のような強い風が吹き付けていた。隠れていたはずの父親リチャード(キャンベル・スコット)はピーターの身を隠し、机に入っていたオズゴープ社の極秘ファイルを厳重にしまう。それから数年後、ピーターの存在は叔父のベン(マーティン・シーン)と叔母のメイ(サリー・フィールド)の元で大事に育てられていた。ミッドタウン・サイエンス高校の成績は常に優秀で、高校では弁論部に所属していた。ある日、地下室のパイプ漏れを修理しにやって来たピーターは、思いがけず父の形見だった茶色のバッグを見つける。「RP社」のロゴ・マークの入った革製のバッグは、19歳の時、母親と出会った時から大切にしていたものだった。両親の死が気になったピーターは、父の研究者仲間だったコナーズ博士(リス・エヴァンス)に近付くために、オズコープ社の公開実習に参加する。そこには科学助手として、学内で密かに憧れていたグウェン・ステイシー(エマ・ストーン)がいた。ラジット・ラーサ博士(イルファーン・カーン)が持ち出した「オズコープ社00」の極秘ファイル、バイオケーブル開発室、そこに侵入したピーターは首筋を蜘蛛に刺され、特殊能力に目覚めて行く。

 サム・ライミ版『スパイダーマン』トリロジーの前日譚となる前後編二部作の前編。両親の突然の死で天涯孤独になったピーター・パーカーが、代父となるベン夫妻に引き取られ、2人の本当の親子のような愛情により、成長して行く物語は『スパイダーマン』トリロジーと同工異曲の様相を呈するが、ここにはまだハリー・オズボーンやメリー・ジェーン・ワトソンがいない。ピーターが思いを寄せるヒロインは、『スパイダーマン3』においてMJの恋のライバルとなったブライス・ダラス・ハワードが演じたグウェン・ステイシーである。『(500)日のサマー』の監督であるマーク・ウェブ版のスパイダーマンは、ピーターの非モテ設定が解除され、女性の方からむしろ積極的にアプローチされるモテ男として描写される。前半45分の展開は『スパイダーマン』トリロジーの前日譚をしっかりと描きながら、2度目の代父となったベンの死が主人公の苦悩を浮き彫りにするのだが、そこにマーク・ウェブはあまり注力せずに物語を押し進める。

 トリロジーで政府軍人と会社のオーナーとしての葛藤の板挟みにあった天才科学者ノーマン(ウィレム・デフォー)は、今作では片腕を失った亡き父の親友コナーズ博士に丸ごと改変されるのだが、ヴィランとしての造形はノーマンほど魅力的とは言い難い。しかしながらクライマックスの学園を襲う巨大リザードとの爬虫類vs昆虫類の闘いは見応えがあるし、原作者スタン・リーが再び登場した図書館の場面も実に痛快で見事である。我々とまったく変わらない普通の人間としてのスーパー・ヒーローの苦悩や葛藤の陰影はトリロジー版よりも随分と薄まっているものの、NYの正義を代弁するようなグウェン・ステイシー(エマ・ストーン)の父親ジョージ(デニス・リアリー)の起用が、主人公に新たに気付きを与える点は、トリロジーにはない魅力を引き出している。前作までのキルスティン・ダンストの憂いを帯びたヒロイン像に比べれば、エマ・ストーンのヒロインは元気印で、時にリザードにも臆することなく立ち向かう気丈さは、警部の娘ならではだろう。クリフ・ロバートソンからマーティン・シーンへ、ローズマリー・ハリスからサリー・フィールドへバトン・タッチされたピーターの保護者像も大きな違和感はない。前3作でMARVEL映画に入門したファンを、大きく落胆させない無難な新シリーズ前編である。
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